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メルダジーンの戦い(メルダジーンのたたかい、、またはオーセージの戦い、トレーディングポストの戦い)は、南北戦争の終盤に入った1864年10月25日、プライスのミズーリ襲撃の間にカンザス州リン郡でおきた戦闘である。同じ日に起こった3つの相互に関連する戦闘の中では最初のものとなった。いずれの戦闘も、南軍はスターリング・プライス少将の指揮するミズーリ軍の部隊が、北軍はアルフレッド・プレソントン少将の指揮する北軍暫定騎兵師団の部隊が関わった。 この戦闘の間、北軍プレソントンの騎兵師団では、ジョン・F・フィリップス大佐とフレデリック・ベンティーン大佐の合わせて2個旅団がトレーディングポストでプライス軍の後衛に追いついた。プライス軍は南部の輜重隊と共にメルダジーン川の渡河を援護していた。プレソントンの部隊は南軍の渡河を妨害することも、重大な損失を与えることもできなかったが、幾らかの捕虜を取り、大砲を鹵獲することができ、プライス軍の撤退継続を強いた。このことでその朝遅くのマインクリークの戦いという2つ目の戦闘に繋がり、さらに午後にはマーミトン川の戦いというこの日最後の戦闘になった。この2つの戦闘で北軍が勝利し、プライスのミズーリ襲撃隊の運命が決まることになった。 == 背景 == 南北戦争の1864年、南軍当局は来るべき大統領選挙に向けて有利な状況を作ろうとしていた。このために、ミズーリ州の支配権を奪うことで、現職エイブラハム・リンカーン大統領に投票しないよう北部の有権者に訴えることに決めた。ミズーリ州が南軍の領土であれば、戦争に勝利するための利点を得られると確信していた。エドマンド・カービー・スミス中将からの指示により、スターリング・プライスはこの作戦を実行するための軍隊を集めた。その後、配置転換のために歩兵部隊を奪われ、襲撃のために騎兵隊を創設することを強いられた〔Mark A. Lause ''Price's Lost Campaign: The 1864 Invasion of Missouri'' ISBN 9780826272638〕。 プライスは、アメリカ連合国のためにミズーリ州を奪うこと、あるいは少なくともリンカーンの大統領再選に負の影響を与えることを求めて、ミズーリ州に遠征部隊を率いて入った。プライスはその通り道で起きた戦闘に勝利して州内を北上したが、10月23日、現在のミズーリ州カンザスシティ近くで起きたウェストポートの戦いで北軍によって進行を止められた。プライス軍は、サミュエル・カーティス少将とアルフレッド・プレソントン少将の指揮する北軍に敗北した。プライス軍は直ぐにその基地とする南のアーカンソー州への撤退を開始した。北軍騎兵師団を指揮していたプレソントンがプライス軍をカンザス州に追い込み、南軍の領土に届く前に捕獲あるいは破壊しようとしていた。このことで10月25日の3つの戦闘が起きて、プライスの騎兵隊を破壊し、カンザスから退去させることになった。その3つの戦闘がこのメルダジーンの戦い、マインクリークの戦い、そしてマーミトン川の戦いだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メルダジーンの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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