|
メルヴィンズ(Melvins)はアメリカ合衆国出身のロックバンド。長年、トリオ編成で活動していたが、2006年からは2人のドラマーを擁する4ピースバンドとして活動している。また、ライブでは時折、サイド・ギタリストを迎え入れる。 バンド名はオズボーンが従業員として働いていたモンテサノ市にあるThriftwayというスーパーのスーパーヴァイザーの名前に由来。その"Melvin"は他の従業員から非常に軽蔑されていて、バンドのメンバーも程よく馬鹿げた名前になると感じ取って、これを取って命名した。 == 来歴 == メルヴィンズは1980年初頭、バズ・オズボーン、マット・ルーキン、マイク・ディラードの三人が通っていたワシントン州モンテサノ市にある高校で結成された。結成当初はザ・フーやジミ・ヘンドリックスのカヴァーをしていて、次第に高速なハードコア・パンクを演奏し始めるようになった。ディラードの脱退後、デイル・クローヴァーが参加した際に、バンドは練習の場をワシントン州アバディーン市にあるクローヴァーの実家の奥の部屋に移した。その後すぐに、彼らは他の誰よりも遅くて"重い"曲を演奏し始めた。 1985年、全6曲を収録したEP盤アルバムをリリース。のちに、このアルバムには数曲か追加する形で再発され、最終的には全26曲となった。翌1986年、彼らにとって初めてのフルアルバムとなる「Gluey Porch Treatments」をリリース。当時は、ハードコアの影響の強い曲が多く、ほとんどの演奏時間は短く、現在のテンポの遅い、重めなサウンドの楽曲は比較的少なかった。 1987年、ルーキンが方向性の違いにより、バンドから離脱〔後に、彼はマッドハニーを結成するも、2001年1月に脱退し、現在は音楽活動から引退している。〕。ルーキンの脱退後の翌年、二人は活動拠点地をカリフォルニア州サンフランシスコに移す。 引っ越した際に知り合った、女性ミュージシャン・ロリー・ブラック(かつての名子役・シャーリー・テンプルの次女にあたる)を新しいベーシストに迎え、「Ozma」を収録、リリースする。彼女の在籍時より、現在のスラッジな作風が徐々に確立され、1991年にリリースされたアルバム「Bullhead」では、「Boris」など重々しい作風の楽曲が収録され、演奏時間の長い楽曲も多くなった。ちなみに、同アルバムはファンからの評判は高く、バンドのなかでも代表傑作であるという評価も多い。他にもEPやライブアルバムなど数枚ほど制作するも、ロリーが一身上の都合により離脱。新たなメンバーとして、長年バンドの大ファンだった元アースのジョー・プレストンが加入するも、音楽性の違いから、長くは在籍しなかった。 その後、1993年にメジャーデビューするまでロリーが復帰した。同年、アトランティック・レコードと契約を交わすことに成功し、アルバム「Houdini」を同レーベルよりリリース。メジャーデビューを果たした。デイルが参加したことのあるバンドニルヴァーナのギタリスト、ボーカリストで、メルヴィンズとは私生活上関係の深かったカート・コバーンが、アルバムの何曲かのプロデュースを手掛け、収録曲の"Sky Pup"でギタリストとして参加し、"Spread Eagle Beagle"ではパーカッションを演奏した〔ただし実際にはカート自身には、プロデュースの経験がなく、レコーディング中、カートとバンドの意見の食い違いが生じたり、カートとバンドとのスケジュールが合わなかったりしたため、実質上は名義上のみとなっている(バズ曰く、「カートはプロデューサーとしては、本当にどうしようもなかった。だから、事実上彼には降りてもらった」とのこと。)(「Houdini」(2011年再発盤)の山崎智之によるライナーノーツより)〕。その直後、ロリーが技術上の問題からバンドを解雇される。バズはその理由に関して「彼女は勤労意欲に欠けていた」とだけ述べ、インタビューでは明確な答えを出していない〔「Houdini」(2011年再発盤)の同上のライナーノーツより。なお、実際に彼女がどれほどこのアルバムの収録に関与したかは未だに不明だが、少なくともアルバムが製作される途中には既に辞めさせられた可能性が高いとされている。(実際バズもインタビュー、彼女がほとんど製作に参与していないことを示唆する発言をしている。)〕が、実際にはロリーのヘロイン中毒の症状が悪化して音楽活動に支障をきたしていたためである。バズは、お金ばっかりがかかったと評し、このアルバムの出来に対しては不満を持っている。しかし、現在でもファンからの評判の高いアルバムの一つとなっている。 脱退したロリーの代わりに、「Gluey Porch Treatments」のリリース元の代表者だった音楽プロデューサー兼ミュージシャンであるマーク・デュートロムが、バズとデイルから依頼されて加入する。彼自身は「Houdini」のレコーディングには参加していないものの、収録曲の一つの「Lizzy」や「Honey Bucket」のPVにおいてベースを演奏している姿が確認できる。その後、1994年に「Stoner Witch」を発表。通常のオルタナティブ・ロックとは異なったヘヴィーな作風を目指すも、前作ほどヒットしなかった。ちなみに、同アルバムより、バズの配偶者であるマッキーがアートワークを担当するようになる。そのため、1996年に発表したアルバム「Stag」を持って、アトランティック・レコードとの契約を終了した。その後も、インディーズでバンドは継続的に活動したが、1998年に、デュートロムがソロ活動に専念したいという意向と、住居上の問題〔バズとデイルはカリフォリニア在住だが、当時、デュートロムはテキサス州に住んでいたため。〕からバンドでの活動との両立が困難になったことからバンドを脱退した。 後任として、オーディションの結果、元・カウズのベーシストであるケヴィン・ラトマニスがバンドに加わった。同時に、友達を通して知り合ったマイク・パットンの設立したレーベル・イピキャック・レコーディングスに移籍する。これに伴い、ロサンゼルスを活動の拠点地に移した。花の写真をジャケットに採用した3枚のアルバム「The Maggot」、「The Bootlicker」、「The Crybaby」をリリース。作風の違いによって、三枚のアルバムに分けて収録する。それぞれ、歪んだギターの音色を特徴とするヘヴィーな作風の楽曲、アコースティックな音色を用いた楽曲、他のアーティストとのコラボレーション楽曲が中心になっている。同時に、バズがファントマスのメンバーとしての活動も開始。ケヴィンの演奏技術は、メンバーのみならずファンからも好評だった。しかし、ケヴィンが、途中よりライブの出演をドタキャンすることが多くなり、代役のベーシストが参加するようになった。その後、2005年初夏をもってバンドから脱退〔理由は正確には不明だが、薬物中毒などの私生活でのトラブルだったとされる。同時に彼が参与していたサイド・プロジェクトでの活動も、実質上バンドから解雇される形で停止している。〕。 2006年に、2ピース・バンドとして活動しているビッグ・ビジネスのジャレド・ウォーレン、コーディー・ウィリスの二人を迎え、これまでの3ピース体制から、ツイン・ドラム形式の4ピースバンドとしての活動を開始。当初は、ジャレッドのみを採用する予定でいたが、コーディーの演奏を見た二人が、コーディの演奏を気に入り、その実力を買って、そのまま二人とも引き抜かれることになったとのこと。力強いドラムサウンドや、メンバー全員による歌唱(メイン・ヴォーカルをバズが、コーラスを他の三人が担当する)を特徴とするようになる。以降は、この面子で活動を続けている。 最近では、バズとデイルが、ベーシスト・トレヴァー・ダンとの共同で、2012年より「メルヴィンズ・ライト」としての活動もスタート。人数は、ジャレッドとコーディが加わる以前と同じく3人組となっている。トレヴァーは、バズの参加しているサイドプロジェクト・ファントマスのバンドメイトであり、過去にもバンドのライブにも時々サポートメンバーで参加していた。ただし、このプロジェクトの大きな特徴として、トレヴァーはエレキベースではなく、コントラバスを演奏。また、バズやデイルもアンティーク物の楽器を使用するなど、古風なロック音楽を彷彿とする作風を目指す。 彼ら二人は他にも、元メンバーのマイク・ディラードを迎え、「結成当初と同じメンバー」〔ただし、ベーシストのマット・ルーキンは不参加。彼のパートはデイルが担当。〕という触れ込みで、不定期にライブを開催(ディラードは、サポート扱い)。2012年には、この面子で制作されたEP盤アルバム「1983」がリリースされた。このように、従来のヘヴィーな作風にこだわらず、幅広い演奏スタイルを繰り広げた。 2013年より、ベース担当のジャレッドが家庭の優先のために活動を休止したことにより、代役としてバットホール・サーファーズのジェフ・ピンカスを迎えて活動。また、サイドギタリストとして、同バンドのポール・レアリーも、メルヴィンズのツアーにゲスト出演。 2014年、現在のライブツアーでの編成で新アルバム『Hold It On』をリリース。 2015年、11月に新木場STUDIO COASTで開催されたHostess Club Weekenderに出演〔Hostess Club Weekender 2015.NOV 11月22日(日)出演〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メルヴィンズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|