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メル・コリンズ(Mel Collins、本名メルヴィン・デスモンド・コリンズ、1947年9月5日〔Mel Collins : AllMusic 〕 - )は、イギリスのサクソフォーン奏者、フルート奏者。キング・クリムゾン等のメンバーとして知られ、スタジオ・ミュージシャンとしても精力的に活動。 == 来歴 == サリー出身。父が戦前からBBC専属のサックス・プレイヤーとして数多くの録音をこなしたセッションマンだった影響で、コリンズも幼い頃からジャズに親しみ、2002年のインタビューではチャールズ・ミンガスやソニー・ロリンズから影響を受けていたと語っている〔『ストレンジ・デイズ2004年4月号増刊 キング・クリムゾン』(ストレンジ・デイズ、雑誌05302-4)p.103〕。10歳でピアノを、12歳でクラリネットを始め、その後サックスに転向した〔。 地元クロイドンでローカルバンドをいくつか渡り歩き、労働許可証が貰える18歳の誕生日1965年9月からThe Dagoesというにツアーサポートバンドへ参加。ボ·ディドリー、PJプロビーのコンサートで演奏した。メロディメーカー紙の募集記事を頼りに1966年5月16日からフィリップ・グッドハンド・テイト率いるザ・ストームズヴィル・シェイカーズに加入、初めてレコーディングに参加した。同バンドは67年にサーカスと改名して同年からシングル2枚、テイトがソロ歌手として独立した後の1969年にアルバムを発表した。 1970年にキング・クリムゾンの『ポセイドンのめざめ』レコーディングに参加し、その後正式メンバーとなる。 (コリンズがキング・クリムゾンに在籍していた当時、GASS、ALAN BOWN両グループが発表したアルバムにプロデューサーMel Collinsというクレジットがあるが、Active Musicというプロダクションの同姓同名別人である〔BillBoard1971年11月13日号プロデューサー紹介より〕。) 1972年春のツアーを最後に、ボズ・バレルやイアン・ウォーレスと一緒にキング・クリムゾンを脱退し、3人ともアレクシス・コーナー率いるスネイプのメンバーとなった。 その後はスタジオ・ミュージシャンとして膨大な数のアルバムに参加。また、1974年から1976年にかけてココモの正式メンバーとしても活動した。1977年にはブライアン・フェリー初来日公演に 帯同し初来日。その後キャメルに参加し、1979年1月には同バンドの初日本公演にも帯同した。その後も度々同バンドのレコーディングやライヴにゲスト参加した。また、1978年にはローリング・ストーンズの世界的ヒット曲「ミス・ユー」でサックス・ソロを担当した。 1980年代にもスタジオ・ミュージシャンとして活動を続け、ティナ・ターナー『プライヴェート・ダンサー』(1984年)やティアーズ・フォー・フィアーズ『シャウト』(1985年)といった世界的な大ヒット・アルバムでも演奏している。また、1982年にはココモの再結成に参加した。中島みゆきのアルバム『夜を往け』(1990年)のレコーディングにも参加している。2002年には、初期キング・クリムゾンの楽曲を再演するプロジェクト、21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成した。 2011年にはフリップが主導する「キング・クリムゾン・プロジェクト」のアルバムとして発表された『ア・スケアシティ・オブ・ミラクルズ』の収録に参加し、1974年作『レッド』へのゲスト参加以来、37年振りにフリップとの共演となった。そして2013年、正式にキング・クリムゾンのメンバーとして復帰し、キング・クリムゾンの再始動がアナウンスされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メル・コリンズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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