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メンテシェ侯国 : ミニ英和和英辞書
メンテシェ侯国[めんてしぇこうこく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
  1. (n,n-suf) marquis 2. lord 3. daimyo 
侯国 : [こうこく]
 (n) principality
: [くに]
 【名詞】 1. country 

メンテシェ侯国 : ウィキペディア日本語版
メンテシェ侯国[めんてしぇこうこく]
メンテシェ侯国(‐こうこく、Menteşe1260年 - 1424年)は南西アナトリアミラスに都し、そこに近いベチンという城から統治していた、オグズ諸部族によりルーム・セルジューク朝の衰退期に形成された辺境の君侯国(ベイリク)の一つ。国名は創始者のメンテシェ・ベイに因む。国土の中心は今日のトルコムーラ県にあたる。
主な都市はベチン、ミラス、バラトフィニケカシュ、マール(現フェトヒイェ)、ムーラチャメリアチュパヤムタヴァスボズドアンチネアイドゥン(旧称トラッレス)もこの国に支配されていたことがあり、メンテシェ支配下ではギュゼルヒサル(Güzelhisar)と呼ばれていた。この都市は後にアイドゥン侯国領となり、創始者の名を取ってアイドゥンと改名された。メンテシェは1300年から1314年の間ロドス島も支配下に入れる程の強い海軍力があった〔 〕。また、ミラスのフィルズ・ベイ・モスクやバラトのイルヤス・ベイ・モスクのような建築物を遺した。
最初にオスマン帝国の支配下に入ったのは1390年バヤズィト1世の治世である。1402年ティムール朝の侵攻で一時的にメンテシェは復活したものの、1414年には再びオスマンの支配下となり、1424年には完全にオスマン帝国の一部となった。
今日のムーラ県はトルコ共和国初期まではメンテシェ・サンジャク(県)と呼ばれていたが、県都は15世紀中にムーラへ移された。

==出典==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メンテシェ侯国」の詳細全文を読む




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