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メンヒル()は、ヨーロッパ先史時代に立てられた、単一で直立した巨石記念物(モノリスまたはメガリス)。 「メンヒル」という単語は、フランス語経由で19世紀の考古学者に採用されたもので、ブルトン語の「長い石」を意味する単語に基づいている(現代のウェールズ語では「長い石」は「maen hir」)。現代のブルトン語では、「peulvan」と呼ばれる。 ==特徴== 現存するもっとも大きなメンヒルは、ブルターニュのロクマリアケール(:en:Locmariaquer)にある「Grand Menhir Brisé」(大きな壊れたメンヒル)で、かつて約20メートルの高さがあった。壊れて4つの部分が横たわっているが、約330トンあったと見られており、機械によらずに人間が動かしたもっとも重い物体と考えられる。ほかの地域では、巨石はキリスト教徒によって組織的に倒された。北ドイツでは、かつて多くのメンヒルが立っていたが、今日ではほとんど1つも残っていない。メンヒルの列石も知られており、もっとも有名なのはブルターニュのカルナック列石(:en:Carnac stones)で、3000以上のメンヒルが3つのグループに並べられており、数キロメートルにわたって整列している。 フランスで2番目にメンヒルが集中しているのは、花崗岩の多いセヴェンヌ(:en:Cévennes)にある石灰岩の高原に立つ「Cham des Bondons」である。現在はセヴェンヌ国立公園の中で保護されている。遊牧が確立された時期から、この場所は計画的な焼畑や放牧によって開けた土地にされてきた。一組の球形の丘のように、この場所の自然は女性的な形を思わせる。 メンヒルの形は、頂点に向かって四角く先細りになる傾向がある。一般的には荒く刻まれた形である。垂直方向に溝があるものもあり、カルナックではそうした溝は部分的に平らにされている。 メンヒルがどのような文化的意味のもとに立てられたのかは、実際的には解明されていない。メンヒルを立てた人々の言語も分かっていない。近年までメンヒルはビーカー人(:en:Beaker culture)と結び付けられていた。紀元前3000年代後期の後期新石器時代や初期青銅器時代にヨーロッパに定住した人々である。しかし、ブルターニュのメガリスの時代に関する近年の調査では、起源はもっと古く、6000年から7000年前に遡る仮説が示されている。最近ではビーカー文化以前の、ヨーロッパに農耕・巨石文化をもたらしたハプログループR1b (Y染色体)に属す集団がその担い手と考えられている。 スカンディナヴィアでは、メンヒルは先ローマ鉄器時代やその後にも立てられ続けた(:en:Menhir (Iron Age)を参照)。通常は死者の灰の上に立てられている。鉄器時代のメンヒルは、孤立して立てられることも、ストーン・シップやストーン・サークルの形で立てられることもある。1世紀には、その伝統はおそらくゴート人によって北ポーランドにもたらされた(:en:Wielbark Cultureを参照)。 スノッリ・ストゥルルソンの『ノルウェー諸王列伝』(:en:Heimskringla、例:ヴァンランド)によれば、メンヒルは偉人の記念のために立てられた。巨石を立てる伝統は、:en:Björketorp Runestoneなどを中間として、ルーンストーンに発展した。 メンヒルは、擬似考古学の思索の題材として好まれている。 メンヒルは先史時代の文化とよく結び付けられるので、漫画『アステリックス』で顕著に取り上げられている。 芸術や文学におけるメンヒルについては、パウル・ツェラーンのドイツ語詩「メンヒル」を参照(英訳はJonathan Skolnik, "Kaddish for Spinoza: Memory and Modernity in Heine and Celan" NEW GERMAN CRITIQUE 77 (1999))。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メンヒル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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