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メーワール王国(メーワールおうこく、ヒンディー語:उदयपुर、英語:Mewar Kingdom)は、インドのラージャスターン地方に存在したヒンドゥー王朝(8世紀 - 1947年)。ウダイプル藩王国とも呼ばれる。 ==歴史== 8世紀、グヒラ族によってメーワール王国が建国された。 1303年、ハルジー朝のアラー・ウッディーン・ハルジーにより首都チットールガルを攻撃され、一時的に滅亡する〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.96〕。だが、 1326年にハンミーラによって再興された〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』年表、p.28〕。 1535年、グジャラート・スルターン朝のバハードゥル・シャー率いる軍勢に首都チットールガルを包囲された。だが、このときはムガル帝国の皇帝フマーユーンの軍勢がグジャラート・スルターン朝の軍勢を破った。 メーワール王ウダイ・シング2世は皇帝アクバルへの服属を拒否したため、1567年に首都チットールガルを包囲され、翌年2月に首都は陥落した〔辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.273〕〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.154〕。その後、ウダイ・シング2世は首都をウダイプルに遷都して抵抗し、その争いは息子のプラタープ・シングに引き継がれた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.154〕〔辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.273〕。 1605年にアクバルが死亡したのちも抵抗を続けていたが、1614年2月に帝国との間に講和を結んだ〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.154〕。これにより、メーワール王国はその半独立的な地位を認められた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.199〕。 1679年7月、アウラングゼーブがマールワール王国の直轄地化、並びにジズヤを復活したことに抗議して、メーワール王国はマールワール王国とともに反乱を起こした〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』年表、p.〕。 1680年1月、帝国軍に首都ウダイプル、旧都チットールガルを奪取されたが〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』年表、p.40〕、翌1681年9月に講和を結んだ。 1818年、メーワール王国はイギリスと軍事保護条約を締結し、イギリスに従属する藩王国となった(ウダイプル藩王国)。 1947年8月15日、インド・パキスタン分離独立の際、ウダイプル藩王国はインドへと併合された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「メーワール王国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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