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モグーリスタン・ハン国(英語:Moghulistan Khanate、トルコ語:Moğolistan Hanlığı)は、1340年代にチャガタイ・ハン国が東西に分裂して成立した東チャガタイ・ハン国の別称。単にモグーリスタン、モグール・ウルスとも呼ばれる〔『中央ユーラシアを知る事典』p501〕。 ==概要== 13世紀に成立したモンゴル帝国は、中国の元朝、中央アジアのチャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)、西アジアのイルハン朝(フレグ・ウルス)、南ロシアのキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)に分裂した。その中の一つチャガタイ・ハン国は14世紀に東西に分裂するが、分裂の正確な時期は定かではない〔間野「十五世紀初頭のモグーリスターン ヴァイス汗の時代」『東洋史研究』23巻1号、23頁〕。マー・ワラー・アンナフルを支配する西チャガタイ・ハン国は定住生活とイスラム文化が浸透しており、東トルキスタンの東チャガタイ・ハン国では伝統的な遊牧文化が固持されていた〔加藤『ティームール朝成立史の研究』、149頁〕。モンゴル人の伝統的な遊牧文化の後継者を自負する東チャガタイ・ハン国の君主は「モグール・ウルス」の国名を使用し、定住文化への同化を望む西チャガタイ・ハン国をカラウナス(Qaraunas)すなわち「混血」と呼んで軽蔑した〔。一方、西チャガタイ・ハン国はハン国の正統な後継者の「チャガタイ」を自称し、東チャガタイ・ハン国を、定住民を略奪の対象としか見なさないことからジュテ(あるいはジャタ、Jatah)すなわち「盗賊」と呼んで忌み嫌った〔。 中国の明朝はモグーリスタン・ハン国を指して「別失八裏」「亦力把力」(ビシュバリク)という語を用いた〔間野「十五世紀初頭のモグーリスターン ヴァイス汗の時代」『東洋史研究』23巻1号、2頁〕。近現代の研究においては「モグーリスタン・ハン国」はもっぱらソビエト連邦の歴史学者によって使用され、中国の歴史学者は「東チャガタイ・ハン国」の国名を使用することが多かった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モグーリスタン・ハン国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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