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モスクワ軍管区(モスクワぐんかんく、;略称)は、かつて存在したソ連軍、ロシア連邦軍のロシア中央部における軍管区、統合部隊。沿ドニエストル共和国に駐屯する部隊も管轄している。軍管区本部は、モスクワに位置する。2010年9月20日西部軍管区へと改編された。 軍管区の部隊及び保管基地には、戦車×2,040両、装甲車両×2,246両、火砲×1,740門、戦闘ヘリ×206機その他の兵器が装備されている。 == 歴史 == === 戦前 === 1918年3月13日、最高軍事会議令により、モスクワ軍管区が設置された。1917年~1922年のロシア内戦と軍事干渉時代、モスクワ軍管区は全戦線への兵員・装備の供給源となり、1919年6月から同年9月中旬までに33期の召集を行い、50万人以上を動員した。モスクワでは、第1モスクワ狙撃師団、ワルシャワ革命連隊、第2革命連隊が編成され、ラトゥイシュ支隊(ラトビア人部隊)はラトゥイシュ狙撃師団に編入された。ヴォロネジでは2個騎兵師団が、ニジニ・ノヴゴロドでは2個狙撃師団、2個狙撃連隊、タンボフでは第16狙撃師団が編成された。モスクワ軍管区内には、各種軍事教育施設が集中しており、1918年~1919年の間に1万1千人の指揮官を訓練し、前線に送り出した。 内戦終結後、復員が始まり、軍管区の兵員は58万人(1920年末)から8万5千人(1923年1月1日)まで削減された。軍管区内では、毎年、秋季交差演習が行われ、新しい部隊組織、戦闘行動、集団戦の戦術が検閲された。1930年代初め、軍管区にMS-1戦車、後にT-26、T-27、BT軽戦車、T-28中戦車、T-35重戦車が現れた。1930年、赤軍最初の機械化旅団がモスクワ軍管区に編成され、1932年、機械化軍団が創設された。 1930年8月2日、ヴォロネジ郊外での試験・模範演習において、世界最初の空挺部隊のパラシュート降下が実施され、この日は、空挺軍の創設日とされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モスクワ軍管区」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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