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モダン・ロマンス (Modern Romance) は、1980年代はじめに人気が高かったイギリスのポップ・ミュージック・バンド。1980年に、前身のバンドであるレイトン・バザーズ (The Leyton Buzzards) の元メンバーの一部を中心に結成され、1985年に解散するまでイギリスのチャートで一連のヒットを飛ばした。 == バンドの歴史 == 1977年に結成されたパンク系のパロディ・バンドであるレイトン・バザーズで、中心的な役割を担っていたジェフリー・ディーン (Geoffrey Deane) とデイヴィッド・ジェイムズ (David Jaymes) が、1980年にモダン・ロマンスを結成した。レイトン・バザーズは、シングル「19 and Mad」を独立系レコードレーベルのスモール・ワンダー (Small Wonder) からリリースしたが、不発に終わった。その後バンドは、イギリスのタブロイド新聞『ザ・サン』が主催したコンテストで優勝し、賞品の一部としてクリサリス・レコード (Chrysalis Records) との契約を手に入れた。1979年、バンドはクリサリスからシングル「Saturday Night Beneath The Plastic Palm Trees」をリリースした。テレビの人気音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』にも出演したが、この曲も53位どまりでヒット曲とはならず、その後リリースした曲も不発が続いたことから,クリサリスとの関係は程なくして悪化していった。その後、バンドは分裂してしまうが、ディーンとジェイムズは一緒に活動を続け、当時のロンドンのクラブ・シーンで人気が出始めていた初期のエレクトロニックなスタイルのダンス音楽をやり始めた。新しいマネージャーを見つけ、ビジネス・アート・プロダクションという会社を立ち上げ、WEAレコードと契約した〔。1980年、新たなバンドの最初のリリースは、バンド名と同じ曲名の「Modern Romance」だったが、これは売れなかった。2枚目のシングル「Tonight」も売れなかったため、バンドは全面的に取り入れていたエレクトロニック・サウンドを少々後退させ、ペース、パーカッション、ブラスを強調したラテン・アメリカ系のダンス音楽の要素を取り入れた。バンドは、トランペット奏者のジョン・デュ・プレ (John Du Prez) をメンバーに加えた〔。バンドは新しいシングル「Everybody Salsa」を1981年夏にリリースし、この曲は全英トップ20に入るヒットとなった〔ChartArchive (Modern Romance) 〕。同年の後半には、同じようなテーマの「今夜はアイ・ヤイ・ヤイ! (Ay Ay Ay Ay Moosey)」がこれに続き、全英トップ10入りを果たした〔。シングル2曲のヒットにも関わらず、デビュー・アルバム『ロマンティックな冒険者 (''Adventures in Clubland'')』は不発に終わった。しかし、アメリカ合衆国では、「Everybody Salsa」にラップを載せたバージョンである「Can You Move」が、『ビルボード』誌のダンス・チャートであるホット・ダンス・クラブ・ソングス (Hot Dance Club Songs) で2位まで上昇した。その後も、「おしゃべり魔女 (Queen of the Rapping Scene)」(日本語タイトルは「おしゃべりクイーン」とも)や、1955年のヒット曲「チェリー・ピンク・チャチャ (Cherry Pink And Apple Blossom White)」のカバーが、全英トップ40に入ったが、ディーンはソロ活動をするためにバンドを脱退した。 代わってリード・ヴォーカルにマイケル・J・マリンズ (Michael J. Mullins) を迎え、リリースした次のシングル「Best Years of Our Lives」は、1982年の遅い時期に、バンドにとって全英チャートにおける最大のヒットとなった。1983年にも、「High Life」(全英8位)、「Don't Stop That Crazy Rhythm」(全英14位)、バラード曲の「Walking in the Rain」(全英7位)とヒットが続いた〔。「Best Years Of Our Lives」と「Walking In The Rain」は、シルバーディスク(当時はシングル売り上げ25万枚以上の認定)を獲得した〔BPI Certifications Database 〕。バンドは十代向けのピンナップ雑誌類に頻繁に取り上げられたが、商業的成功はやがて陰りを見せるようになり、その後は一時のようなヒットは出なくなっていった。1983年のクリスマスの時期にはコンピレーション・アルバム『''Party Tonight''』がリリースされた。このアルバムはイギリスでは45位どまりだったが、バンドにとっては最も成功したアルバムとなり、リリースから6週間で10万枚以上が売れて、ゴールド・ディスク(アルバム売り上げ10万枚以上の認定)を受けた〔。 その後、ジョン・デュ・プレが脱退し、カラフルなスーツ姿に短めの髪型というスタイルから、長髪に革ジャケットへとイメージ・チェンジした後、モダン・ロマンスは最後のアルバム『''Burn It!''』を1985年にリリースした。このアルバムはほとんど売れず、バンドは、アルバムに入っていないシングルとして発表した「ターザン・ボーイ (Tarzan Boy)」(同年はじめのバルティモラのヒット曲のカバー)と、バンドの最もヒットした曲を集めてリミックスしたシングル「Best Mix of Our Lives」を1985年のうちにリリースして、活動を停止した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モダン・ロマンス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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