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モティヴェーター('、2002年 - )は、イギリスで生産・調教された競走馬。父モンジューの初年度産駒として2005年にエプソムダービーを勝ち、BHB賞年度代表馬を受賞するなど活躍した。、2002年 - )は、イギリスで生産・調教された競走馬。父モンジューの初年度産駒として2005年にエプソムダービーを勝ち、BHB賞年度代表馬を受賞するなど活躍した。 == 戦績 == 2003年のタタソールズ・オクトーバーイヤリングセールにて7万5000ギニー(約1500万円)で購買され、2004年8月にイギリス・ニューマーケット競馬場の2歳未勝利戦でデビュー。キーレン・ファロンを鞍上に6馬身差の圧勝を飾ると、続いて出走した10月のG1レーシングポストトロフィーも2着に2馬身半差をつけて快勝し、翌年のクラシック有力候補に躍り出る。 3歳となった2005年はエプソムダービーの前哨戦であるG2ダンテステークスから始動。これまでの2戦で手綱を取ったファロンからジョニー・ムルタに乗り替わっての出走だったが、難なく勝利を収め順調な滑り出しを見せる。そして迎えたエプソムダービーでは、好位追走から危なげなく抜け出して2着を5馬身突き放す圧勝。無敗のダービー馬に輝いた。 次走にはアイリッシュダービーも候補に挙がったが、陣営はエクリプスステークスへの出走を選択する。このレースにはフランス二冠を制したシャマルダル (Shamardal) も参戦を予定しており、モティヴェーターとの対決が注目された。しかしシャマルダルがレース前日に故障し回避・引退したためにこの対戦は実現せず、ライバル不在とあってモティヴェーターの勝利は濃厚と見られた。ところがレースでは、序盤から先行したもののゴール前で2歳時の主戦キーレン・ファロンの駆るオラトリオ (Oratorio) に捕まり半馬身差の2着に敗れ、デビュー以来初の黒星を喫してしまう。レース前にはこの後キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへ向かうプランもあったが、敗戦の影響もあってか出走は見送られ、シーズン後半に備えることになった。 秋はまずアイルランド・レパーズタウン競馬場のアイリッシュチャンピオンステークスに向けて調整される。主戦のムルタが騎乗停止処分を受けたため、陣営は代役としてランフランコ・デットーリに騎乗を依頼、デットーリもいったんはこれを受諾した。しかし、レパーズタウンが晴天続きで固い馬場となっていたことを懸念した陣営は、当日の馬場状態次第ではこのレースを回避すると発表。出否が流動的になったことから、結局デットーリは同日にイギリスで行われるセントレジャーへの騎乗を選ぶ。その後の降雨により適度な馬場になったと判断されケヴィン・ダーレイとのコンビで出走したモティヴェーターは、先行策から早めに先頭に立ったが直線でまたしてもオラトリオに半馬身かわされ、2戦連続の2着に敗れた。 このレースの後に2005年限りで現役を引退し種牡馬となることが発表されたモティヴェーターは、鞍上に再びムルタを迎え凱旋門賞に臨んだが、直線で一度は先頭に立つもラストの伸びを欠き、同じモンジュー産駒の勝ち馬ハリケーンラン (Hurricane Run) から約4馬身離された5着に終わる。その後、ブリーダーズカップ・ターフ出走に向けての調教中に後肢の筋肉を痛める怪我を負い、同レースを回避して引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モティヴェーター」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Motivator (horse) 」があります。 スポンサード リンク
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