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モハメド・ファラー・ハッサン・アイディード(, 、、1934年12月15日 - 1996年8月2日)は、ソマリアの軍人、政治家。ソマリア内戦のきっかけをつくった人物の一人。軍閥統一ソマリ会議(USC)の軍事部門トップとなり、1992年、軍事蜂起でソマリア第3代大統領モハメド・シアド・バーレを追放。さらに第4代大統領となったUSCのアリ・マフディ・ムハンマドを追放。介入した国連平和執行部隊に対し、1993年に軍事攻撃を開始。1994年にはアメリカ軍を撤退させ、1995年にはすべての国連平和執行部隊を撤退させた。第5代大統領就任を宣言するが、アメリカ合衆国をはじめとする主要国からの承認が得られず、ソマリア全土を統治することもできなかった。1996年7月末、銃撃で受けた傷が元で死亡。なお「アイディード」は「完璧主義」を意味する一種の通称〔であり、本名は「モハメド・ファラー」。(通称はソマリ族によく見られる風習。) == 生涯 == ===誕生からオガデン戦争まで=== ソマリ族は氏族が極めて重要な意味を持ち、氏族が近いほど仲間意識が強い。アイディードは1934年、ハウィエ氏族の支族として、イタリア領ソマリランドのベレトウェインで生まれた。彼はローマおよびモスクワで教育を受け、1950年代、イタリア信託統治領となっていた南部ソマリアで、イタリア植民地警察に勤めた。また、アイディードはソビエト連邦ので訓練を受けた〔Ahmed III, Abdul. "Brothers in Arms Part I". WardheerNews. Retrieved 15 July 2012.〕。 ソマリアは1960年に独立するが、1969年、第2代大統領暗殺と軍のクーデターが起こり、当時ソマリア軍の少将だったモハメド・シアド・バーレが第3代大統領に就いた。アイディードはバーレ新政権に好まれず、後に逮捕されて6年間の牢獄生活を送った〔。 バーレ大統領は大ソマリア主義を掲げ、隣国エチオピアにあるソマリ族居住地区の分離独立運動を支援した。1977年、ソマリア軍はついにエチオピアソマリ州のオガデンに侵攻し、オガデン戦争が勃発する。 アイディードは釈放され、オガデン戦争で軍人として活躍〔。なお、当初バーレ政権は共産主義を標榜しており、ソビエト連邦(ソ連)の支援を受けていたが、ソ連はオガデン戦争でエチオピアを支援したため、1980年代にバーレ政権はアメリカ寄りに政策を転換している。ソマリアは結局オガデン地方を制圧できず、オガデン戦争は失敗に終わった。 オガデン戦争後、アイディードはバーレ政権でインド大使などの要職に就き、後に情報機関の長官となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モハメッド・ファッラ・アイディード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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