|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 共 : [ども] 1. (suf) indicates plural - humble referring to oneself, disdainful referring to others ・ 共産 : [きょうさん] 【名詞】 1. communism ・ 共産党 : [きょうさんとう] 【名詞】 1. Communist Party ・ 産 : [うぶ] 1. (adj-no) innocent 2. naive 3. unsophisticated 4. inexperienced 5. green 6. wet behind the ears ・ 党 : [とう] 1. (n,n-suf) (1) party (political) 2. (2) faction 3. -ite
モルドバ共和国共産党(モルドバきょうわこくきょうさんとう、、略称:PCRM、モルドバ語: 、)は、ウラジーミル・ヴォローニン率いるモルドバの共産主義政党。旧ソ連の構成国で同国崩壊後に国内で最初に与党となった共産主義政党でもある〔ロシア連邦共産党(CPRF)が1990年代にロシア下院選挙で2度過半数を獲ったものの、同党が与党入りすることは無かった。また、1994年の選挙で圧倒的勝利を収めた南オセチア共産党も同様。2007年にウクライナ共産党が連立与党となる。〕。欧州左翼党に加盟。 == 歴史 == 1994年結党。1996年の大統領選挙に際しヴォローニンを統一候補として擁立するも得票率は10.3%、3位に終わる。同選挙の第2回投票ではペトル・ルチンスキーを支持し勝利、与党として2名が閣僚入りする。 === 1998年議会選挙 === 「社会主義社会の再生」を掲げて戦った1998年の議会選挙では、得票率が30.1%となり40議席を獲得、議会第1党となる。しかし国民からの強い支持を受けながらも、中道右派の民主主義と改革同盟が連立与党となったため野党に留まった。翌年末にはルチンスキーがヴォローニンを大統領に指名したが、議会の支持を受けられず失敗に終わる。続く2001年2月の議会選挙において、得票率が49.9%と躍進し101議席中71議席を得る〔''Political Parties of the World'' (6th edition, 2005), ed. Bogdan Szajkowski, page 414.〕。 === 2001年議会選挙 === 議会で圧倒的多数となったのを背景に、2001年4月ヴォローニンが大統領に選出される。また、憲法裁判所の決定で大統領の政党党首の兼任が可能となったため、ヴォローニンが党首に再任された〔。 === 2005年議会選挙 === 2005年の議会選挙でも与党として勝利を収め、ヴォローニンが引き続き大統領に留まったほか、ジナイダ・グレチャヌイが首相に就任、マリアン・ルプがモルドバ議会議長となった。ヴォローニン政権では国営企業の民営化が行われ、欧州連合加盟への動きが本格化した。 === 2009年議会選挙 === 2009年4月の議会選挙及び暴動以後、国内情勢は一気に緊迫化する〔The New York Times, A Polarized Moldova Votes, Mindful of West and Russia, July 29, 2009 〕。議会解散に伴い7月に急遽選挙が行われることとなったため、新大統領の選出が困難となったのである。混迷の最中実施した7月の選挙では、45.07%と得票率が後退したのを尻目に、自由民主党、自由党、民主党、我がモルドバ同盟党の4党から成る欧州統合同盟が躍進、連立政権を樹立したため野党となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モルドバ共和国共産党」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Party of Communists of the Republic of Moldova 」があります。 スポンサード リンク
|