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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
モンキー乗り(モンキーのり、英:)は、競馬における騎乗法の一つ。鞍に腰を下ろさず、乗馬の一般的様式よりも短く設定された鐙(あぶみ)の上に立ち、腰を浮かせて背を丸め、膝でバランスを取りながら前傾姿勢で騎乗する方法。18世紀にアメリカで生まれたとされ、20世紀初頭から世界的に普及した。名称は、普及の契機を作ったアメリカ人騎手・トッド・スローン(英語版)がイギリスで初めて騎乗した際、その姿勢が「枝の上の猿()」と喩えられたことによる〔山本(2005)p.72〕。競走馬に騎手の体重をかけにくい乗り方で、馬に対する負担が少ない反面、騎乗姿勢は不安定になりがちであるといわれる。日本ではモンキー乗り以前の騎乗法を天神乗りと呼ぶこともある。 なお競艇では、選手がボートでターンマークを回るときにこのような姿勢を取ることが多く、モンキーターンと呼ばれる。 == 歴史 == モンキー乗りの発祥地はアメリカとされる。起源については黒人の少年が我流で編み出したという説〔早坂(1987)p.102〕、デイリー・テレグラフによるネイティヴ・アメリカンの騎乗法を真似たという説〔『書斎の競馬(5)』pp.99-100〕があるが、定かではない。いずれにせよ最初に採用したのは黒人騎手であり、18世紀のイギリス植民地時代から存在し、現地を訪れるイギリス人を驚かせていたとされる〔山本(2005)p.78〕。 近代競馬の発祥地であるイギリスにおいて初めてモンキー乗りを披露したのも、黒人騎手のウィリー・シムズ(英語版)であった。1894年までアメリカで2年連続の最多勝利騎手となっていたシムズは、1895年に後援者の計らいで渡英し、ニューマーケット競馬場のクラウフォードプレートに騎乗した。その奇矯なフォームはイギリス人からの嘲笑を受けたが、この競走で勝利を収めるとイギリスの騎手達は暗澹たる様子になったという〔。しかし以後シムズは騎乗機会に恵まれず、4カ月の滞在で19戦4勝の成績に終わった〔。 モンキー乗りが普及するきっかけを作ったのは、やはりアメリカ人であったが、しかし白人のトッド・スローンであった。シムズから2年後の1897年10月に渡英したスローンはシムズと同じく嘲笑されたが、ニューマーケットに数週間の滞在で53戦20勝という成績を残し、イギリスの人々を驚かせた。翌年も10月からニューマーケットで次々と勝利を重ね、2度の遠征で計98戦42勝の成績を残し、モンキー乗りの評価を決定的なものとした〔山本(2005)pp.74-75〕。1899年からはイギリスでフルシーズンの騎乗を行い、シボラでクラシック競走の1000ギニーに優勝するなどし、年間では343戦108勝で5位に付けた。騎乗数は160勝を挙げた1位サム・ローテスの半分ほどであった。スローンは騎手を目指す少年達の憧れの的となり、時を同じくしてイギリスの騎手達もモンキー乗りの習得へ向かった〔山本(2005)pp.84-86〕。 モンキー乗りの普及はまた、ヨーロッパ各国において独占的に騎乗を行っていたイギリス人騎手の権威失墜と、それに代わってのアメリカ人騎手の急速な台頭をもたらした。ヨーロッパ競馬に造詣が深かった獣医学者・須藤義衛門は1913年当時の状況を以下のように伝えている。 須藤によれば、当時ヨーロッパでは「アングロマニア」と呼ばれたイギリス風物礼賛があり、イギリスを発祥とする近代競馬の騎手という職業も、イギリス人の特殊技能であると考えられていた。ために、馬事馬産の先進国であったドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国といった国々でさえも、自国で積極的に騎手を養成することをせず〔1880年代にドイツ帝国が試みたが頓挫していた。〕、競馬開催時には高額な報酬をもってイギリスから騎手を招いていた。しかしスローンや、彼に続いたアメリカ人騎手の活躍でイギリス人騎手の特権的地位は崩壊へ向かい、これに伴って各国(上記のほかフランス、イタリアなど)において自国騎手養成への気運が高まった〔『馬事功労十九氏事蹟』pp.85-86〕。 現在ではモンキー乗りは世界の競馬におけるもっとも一般的な騎乗法である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モンキー乗り」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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