|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 紀行 : [きこう] 【名詞】 1. traveller's journal 2. traveler's journal ・ 行 : [くだり, ぎょう] 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse
『モンゴル紀行』(-きこう)は、司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』第5巻。「週刊朝日」の1973年11月2日号から1974年6月14日号に連載された。旅の時期は、1973年8月21日(火)から8月31日(金)までの11日間であった。 == 対象地域および行程など == 旅のコース : 新潟空港(新潟で1泊) → ハバロフスク(ヴォストークホテルで1泊) → イルクーツク(1泊) → ウランバートル(ウランバートルホテルで1泊) → 南ゴビ(数泊) 少年のころから北方の非漢民族の興亡の歴史や広大なユーラシア大陸に広がる大草原、シルクロードなどに憧れとロマンを抱いていた司馬は文壇デビュー前に、『ペルシャの幻術師』や『戈壁の匈奴』(戈壁:ゴビはモンゴル語で「草の育ちの悪い砂礫地」の意)といった短編を書いていた。 日本とモンゴルが国交を回復した翌年に、三十年来憧れてきた地に、「お伽の国にゆく感じ」で向かうことになった。 同行者はみどり夫人、挿絵の須田剋太、司馬の恩師でありモンゴル語の権威の棈松(あべまつ)源一。 モンゴルでは案内役のツェベックマが登場する。なお司馬は後に『草原の記』(新潮社のち新潮文庫)で彼女の生涯を描いた。 行きの飛行機で司馬が学徒出陣で戦車十九連隊にいたとき同じだった難波康訓に出会う(当時帝人輸出部長。イルクーツクで司馬一行の窮状を救うことになる)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モンゴル紀行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|