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グラウピウス山の戦い(ラテン語:''Montis Graupii pugna''、英語:''Battle of Mons Graupius'')は帝政ローマ期の83年または84年にブリタンニア北部で行われたローマ軍とカレドニア人(ピクト人)との間の戦いである。ボウディッカを首謀者とした反乱と並ぶ規模のローマに対する反乱として知られる。「モンス・グラウピウスの戦い」とも呼ばれる。 ==概要== === 背景 === ローマのブリタンニア総督であったグナエウス・ユリウス・アグリコラは78年よりカレドニア人追討の為にブリタンニア北部へと侵攻して、カレドニア人を最北部へと追い詰めた。更にカレドニア人の支配地(グラウピウス山)にまで、ブリタンニアのアウクシリア(補助兵)を中心とした軽装兵を進軍させた。 この時点で、ローマ軍は数の上でカレドニア軍を上回っていた為、ローマ軍が得意とする野戦へカレドニア人を引き込もうとしたが、カレドニア人は策に乗らずに戦いを避けた。しかし、カレドニア人たちが収穫したばかりの食糧を貯めている穀物庫をローマ軍が襲撃・占領したことから、このままではカレドニア人は厳しい冬を食糧の乏しい中で迎え、餓死に追い込まれざるを得ない状態に陥った為、カレドニア人はローマ軍との戦いに応じた。 カレドニア人は決起するに際して、最も優秀であったカルガクス(:en:Calgacus)を指導者に選出した。カルガクスは「女に率いられた軍ですらローマ軍を打ち破ったことがあるが、我々は訓練され、文明にも毒されておらず、ローマ軍を破ることは不可能ではない。世界の収奪者たるローマ軍による圧政を打破する」等とカレドニア兵を鼓舞したと伝えられる〔タキトゥス「アグリコラ」31〕。 カレドニア人側の指導者・カルガクス(ラテン語:''Calgacus'')について、唯一記載があるタキトゥス「」にも、詳細な記述は無く、生年・没年共にはっきりしない。なお、「Calg-ac-os」はケルト語で「剣を持つ者」の意味である。(英語版より)または「陰茎を持つ者」?、一応コメントアウト対応。<--> 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グラウピウス山の戦い」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Mons Graupius 」があります。 スポンサード リンク
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