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モンテッサ・ホンダ ( ''Montesa Honda'' ) はスペインのバルセロナにある、オートバイや自転車、およびそれらの部品の製造、組み立てを行っているホンダの子会社である。 なお、ホンダの傘下となる前の独立したオートバイメーカーであったモンテッサについても、この項で述べる。 == 設立 == モンテッサは1944年、フランシスコ・"パコ"・ブルトとペドロ・ペルマニエルによって設立された。 ペルマニエルは、第二次世界大戦中のガソリン不足の中にあって自身が開発したアーモンドの殻を燃やして燃料を得るガスジェネレーターシステムによって成功を収めていたが、戦争が終わってガソリンが安定供給されるようになれば他のビジネスに転向しなければならないと考えていた〔Montesa USA - About Montesa 2010年4月14日閲覧〕。そこでペルマニエルはブルトと協力してバルセロナで小型軽量オートバイの開発を始め、リアサスペンションを持たない2ストローク95ccエンジンのモデルを製作した。多少の問題はあったものの、このモデルは生産を始めた最初の年に22台を販売した。 翌年、手軽な輸送手段に対する需要が高まるとペルマニエルは事業をオートバイ生産に集中させ、ブルトは第1号モデルの後継車となる125ccのロードスターモデルを設計した。このモデルは、当時スペインで人気のあったトライアル形式のラリーやセミ・エンデューロレースで使用され、1951年にはブルトとG.キャベスタニーのライディングでインターナショナル・シックスデイズ・エンデューロにファクトリー体制で出場した。 1950年代初期、モンテッサは多くのロードレースの125ccクラスに出場した。6速トランスミッションやユニット交換が可能なギアボックスを持ち、全てのギヤの軸受けにはニードルローラーベアリングが採用されるという、当時の最新技術が投入されたモンテッサのマシンは非常に戦闘力が高く、1956年マン島TTレースのウルトラライトウェイトクラス(125ccクラス)では2位から4位までを占める活躍を見せた〔TT 1956 Rightweighr 125 TT Results - The official Isle of Man TT website 2010年4月25日閲覧〕。 1950年代は市販車でも成功を収めており、キャブレターやハンドブレーキに新技術を採用したブリオ80 ( ''Brio 80'' ) は、12,000台以上が生産された。ブリオや他のモデルでの成功によって、モンテッサはバルセロナ郊外のエスプラグ・ド・ロブレガットに新たに大きな工場を建設するまでになった。ところがスペイン経済が不況に陥った影響により、会社の存続を最優先とするペルマニエルはレース活動の縮小を決意する。しかし、ロードレースから撤退しようとしたペルマニエルに対し、ブルトはレース活動の継続を主張した。その結果、1958年5月に主任デザイナーであったブルトはモンテッサを去り、主要部署の人員の数名はブルトの後を追って会社を離れた〔50 years of Bultaco 2010年4月12日閲覧〕。ペルマニエルは有能なデザイナーだけでなく、株式の30%を同時に失うことになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モンテッサ・ホンダ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Montesa Honda 」があります。 スポンサード リンク
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