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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
モートン・リンドホルム・デヨ(Morton Lyndholm Deyo, 1887年7月1日-1973年11月1日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は中将。 デヨは第二次世界大戦中、大西洋戦線と太平洋戦線の双方で活躍した。真珠湾攻撃直前に、大西洋を押し渡る連合軍側輸送船団の護衛に駆逐艦を提供し、ノルマンディー上陸作戦におけるシェルブールとユタ・ビーチ、および南フランス戦線では第129任務部隊を率いて火力支援に任じた。太平洋戦線に転じてからは第13巡洋戦隊、第54任務部隊を率いて沖縄戦に加わり、大西洋戦線と同様に火力支援に従事した。戦争終結後は佐世保に進駐して西日本地区の占領行政を一時担当した。デヨは38年に及ぶ海軍生活の中で、、レジオン・オブ・メリットおよびそれに代わる金星章を受章した。 しかし、デヨについて、歴史のある一ページのみを切り出して端的に説明するならば、デヨは「戦艦大和と対決し損なった提督」でもあった。 == 生涯 == ===前半生=== デヨは1887年7月1日にニューヨーク州ホキプシーで生まれた。海軍兵学校(アナポリス)に進み、1911年に卒業。卒業年次から「アナポリス1911年組」と呼称されたこの世代からは、空母任務群を率いたジョン・W・リーヴスがいる〔#谷光 (2000) 序頁〕。日本の海軍兵学校(江田島)の卒業年次に換算すると、伊藤整一、西村祥治、角田覚治、岡敬純、志摩清英らを輩出した39期に相当するが〔、事実上同期に相当するデヨと伊藤が対決寸前になったのは、あくまで偶然である。 アナポリス卒業後、デヨは戦艦バージニア (''USS Virginia, BB-1'') に士官候補生として1913年まで配属される。駆逐艦ダンカン (''USS Duncan, DD-46'') を経て装甲巡洋艦ワシントン (''USS Washington, ACR-11'') と移り〔、タンピコ事件やに乗組員として参加する。1915年から1916年は駆逐艦ジェンキンス (''USS Jenkins, DD-42'') 乗組となり、第一次世界大戦参戦後はドイツ・Uボートから輸送船を護衛する任務に就く。そのさなかの1916年に、デヨはマリア・メイヨーと結婚する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モートン・デヨ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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