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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
モード・ルイス(Maud Lewis1903年-1970年)はカナダのフォーク・アートの画家である。田舎の風景、動物、草花をモチーフに、明るい色彩とシンプルなタッチで温かみと幸福感のある絵を描いた。カナダで愛された画家の一人である。 ==生涯== 生涯のほとんどが貧しい生活であり、ノバスコシア州のヤーマスとディグビーだけが人生で経験した世界のすべてである。美術の教育を受けた事も、絵画の描き方を学んだ事もない(おそらく家族からのものを除いて)。 『家族との少女時代』 *1903年 カナダノバスコシア州ヤーマス郡(Yarmouth County)南オハイオに生まれる。 :若年性関節リウマチを患い、生涯に亘って手足が不自由で体も小さかった。 :身体障害者に対する差別から同世代の子供と遊ぶよりも一人で過ごす時間が多かった。家族の前でピアノを演奏するなど、家族と家で過ごすのが最も楽しい時間であった。 :毎年、母親と共にクリスマス・カードを作り、友人や近所の人達に売っていた。 *1935年 父親が亡くなる。 *1937年 母親が亡くなる。 :当時の慣習により住居は兄が継ぐが、兄夫婦は離婚し兄が家を出る。モードは叔母と暮らすためにノバスコシア州ディグビー郡へ移る。 『結婚』 *1938年 魚の小売り業を営むエヴェレット・ルイスと出会い結婚する。 :ディグビー郡マーシャルタウンの小さな住居に暮らし始める。体の不自由なモードに代わりエヴェレットが家事を行った。世間でのエヴェレットの評判に拘らず夫婦の絆は強く、モードは誇りに思っていた。 :エヴェレットはモードが描く事を奨励する。魚を一軒一軒に売るのと同時にモードのポストカードを25セントで売り、やがて彼の顧客から評判が上がる。そしてモードのために油絵のセットを購入する。 :壁・ドア・キッチン用品・インテリアなど、小さな家の中の描く事が可能なあらゆる表面に絵を描き始める。 『Paintings for Sale』 :“Paintings for Sale"(絵画販売中)と書かれたボードが家の前に掲げられる。 *1945年-1950年 家を訪れた人々は2ドルまたは3ドルで絵を買う。やがて7~10ドルで売れるようになる。 *1964年 カナダの雑誌「Star Weekly」で紹介され、カナダ国中の注目を浴びる。 *1965年 CBCのテレビ番組「Telescope」で紹介される。 :新聞、雑誌などにも頻繁に取り上げられ、遠方の人々やいろいろな人々から絵画の注文が来るようになる。 :テレビ番組の中でアトリエが欲しいことを語ると、それを視聴した隣人によりトレーラーハウスを寄贈される。トレーラーハウス内はモードによって彩色された物品であふれかえるが、なぜかトレーラーハウス自体には何も描かれなかった。 :2つの絵が16,000ドル以上で売られる。 :多くの人々の関心を集める中、関節リウマチの病状は徐々に悪化する。トレーラーハウスも使われなくなる。 *1970年 病院で亡くなる。 :頻繁に病院に通う生活の合い間を見つけては、家の隅で絵を描き続けていた。 :墓石には、エヴェレットの両親の名と共に、少女時代の名前「モード・ドゥーリー(Maud Douley)」と刻まれている(ドゥーリーは婚姻前の旧姓)。 *1979年 家に強盗が入り、その際エヴェレットは亡くなる。 :晩年エヴェレットも、絵を描いていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モード・ルイス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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