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モーリー・ウィルス(Maurice Morning "Maury" Wills、1932年10月2日-)は、アメリカメジャーリーグの元プロ野球選手。ワシントンD.C.出身。右投両打。ポジションは遊撃手、三塁手。 == 来歴・人物 == 1960年代、3度のリーグ優勝、2度のワールドシリーズ制覇を成し遂げたロサンゼルス・ドジャースで、チームの攻守の要として活躍した。 高校卒業後、に当時ニューヨークのブルックリンに本拠地を置いていたドジャースに入団したが、当時ドジャースにはアメリカ野球殿堂入りの名遊撃手ピー・ウィー・リース(引退)がいたこともあり、なかなか大リーグ昇格のチャンスもなかった。オフにシンシナチ・レッズ傘下マイナー球団に移籍し、さらにデトロイト・タイガースの傘下マイナー球団にも移籍したが、そこでも大リーグ昇格はできず、開幕前に、ロサンゼルスに移転していたドジャースに復帰し、同年6月に26歳8か月と遅咲きの大リーグデビューを果たした。同年のシカゴ・ホワイトソックスとのワールドシリーズにも 翌にはレギュラーに定着。この年50盗塁を記録してナショナルリーグ盗塁王に輝くと、まで6年連続で盗塁王に輝く。 ナショナルリーグの選手でシーズン50盗塁を記録したのはのマックス・キャリー(51盗塁)以来37シーズンぶりであった。 特筆すべきはで、この年には大リーグ歴代最多の165試合(後述)に出場し、大リーグ史上初の100盗塁となるシーズン104盗塁を記録した。盗塁失敗はわずか13回(ただしこれでもナ・リーグ最多)で、盗塁成功率は89%に及んだ。三塁打10もナ・リーグ最多で、打率も.299を記録し、この年のナ・リーグ最優秀選手に選出された。引退後にルー・ブロックに更新されるまで大リーグ記録であった。現在でもスイッチヒッターの最多記録である。また、この1962年にはMLBオールスターゲームのMVPにも輝いた。俊足を生かして守備にも優れ、と1962年にはゴールドグラブ賞を受賞。オールスターゲームには通算5回選出された。 には39盗塁に終わり、連続盗塁王は6年でストップ。そして盗塁失敗は24に及び、この年限りでピッツバーグ・パイレーツに移籍した。パイレーツ移籍後もは打率.302、29盗塁、は52盗塁と活躍したが、には拡張ドラフト新球団モントリオール・エクスポズに移籍。同年シーズン途中にドジャースに移籍し、に40歳で引退するまで在籍した。現役引退時のオフには日本の南海ホークスが獲得を目指して交渉と報道されたが実現しなかった。にシアトル・マリナーズで監督を務めたが、成績が振るわず、翌年のシーズン途中で解任された。その後、阪急ブレーブスでキャンプでの臨時コーチに招かれたことがあった。(1978年から) 息子のバンプ・ウィルスもテキサス・レンジャーズなどで6年間に渡りメジャーで活躍、通算196盗塁を記録。・には父が臨時コーチを務めた縁で、日本の阪急ブレーブスでプレイしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モーリー・ウィルス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Maury Wills 」があります。 スポンサード リンク
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