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ヤコブ・フリードリヒ・エールハルト : ミニ英和和英辞書
ヤコブ・フリードリヒ・エールハルト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヤコブ・フリードリヒ・エールハルト : ウィキペディア日本語版
ヤコブ・フリードリヒ・エールハルト[ちょうおん]
ヤコブ・フリードリヒ・エールハルト(Jakob Friedrich Ehrhart、1742年11月4日 - 1795年6月26日)は、ドイツ薬剤師博物学者である。
==生涯==
スイスのホルダーバンクに生まれた。若い頃から自然科学を学び、1765年にニュルンベルクで薬剤師の資格を得て、エルランゲンハノーファーストックホルムで薬剤師として働いた。ストックホルムではベルギウス(Peter Jonas Bergius:1730-1790)のもとで学び、1774年から1776年の間、ウプサラ大学でリンネ父子の授業を受けた〔Kurt Preywisch: ''Begann vor 200 Jahren die botanische Erforschung des Kreises Höxter? '' In: Schriftenreihe Egge-Weser. Bd. 6. Heft 1. Naturkundlicher Verein Egge-Weser, Höxter, 1989. . S. 33–51.〕。
1778年から、ハノーファーの薬剤師、アンドレーエ(Johann Gerhard Reinhard Andreae)の収集した標本の調査を行い、小リンネの『植物の種 補遺』("''Supplementum Plantarum''")の執筆に協力した。1780年に「英国王室とザクセン=ヴィッテンベルク選帝公の宮廷植物学者」("Königlich Grossbritanischer und Churfürstlich Braunschweig-Lüneburgischer Botaniker“ )に任じられハノーファー政府のために働いた。「ハノーファーの植物誌」("Hannoverischen Pflanzengeschichte")を研究した。
1779年9月15日にLimmerで硫黄泉を発見し、これは痛風リウマチ患者のための治療場に発展した。ヘレンハウゼンの植物園の園長も務めた。植物学の分野では最初に亜種に記載したことで知られ、1780年から1789年の間に多くの著書を発表した。
イネ科の属、Ehrhartaに献名されている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤコブ・フリードリヒ・エールハルト」の詳細全文を読む




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