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ヤマナカ : ウィキペディア日本語版
ヤマナカ

株式会社ヤマナカは、愛知県名古屋市東区に本社を置く企業。同県を地盤として岐阜県三重県スーパーマーケットを展開する。名古屋証券取引所2部に上場。
愛知県では老舗のスーパーであり、特に名古屋市内に店舗が多く名古屋全16区に出店しているほか、近年は岐阜県や三重県にも出店している。また近年、全国展開を行うイオンベイシアなどが母体または核テナントとなる巨大スーパー・ショッピングセンターが東海3県にも多く出店するなど経営環境に変化がある中にあって不採算店舗を閉店させる一方、高級スーパー「フランテ」を設立し随時出店するなど、引き続き地域密着型の経営を行っている。
== 概要 ==
1922年(大正11年)2月7日に名古屋市中区正木町にて中野商店が食品店を開いたのが始まりである〔“ヤマナカ、創業70周年事業を展開。来年3月まで多彩な催し”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年1月29日)〕。
生鮮食料品に強みを持ち、名古屋市を中心とする地域にドミナント出店する地域密着型の展開をしている〔“中部地区新春特集:スーパートップインタビュー=ヤマナカ・中野義久社長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年1月11日)〕。
初期の出店は名古屋市を中心とする愛知県西部の尾張地区への出店が主体であったが〔『東三河の経済と社会 第三輯』 愛知大学 中部地方産業研究所、1982年5月。〕、1979年(昭和54年)5月に豊橋市に本拠を置くマルイと合併したため〔三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906〕、豊橋市など東三河地区へも進出したほか、愛知県西部と隣接する岐阜県や三重県にも店舗を展開している。
岡崎市のたつきビルに招聘されて出店する際に岡田屋(後のジャスコ)と一緒になり、その過程で当社の当時の社長であった中野富彦の人望の篤さについて岡田屋社長の岡田卓也が日本経済新聞の私の履歴書で記述するくらいであったため〔岡田卓也 『私の履歴書 小売業の繁栄は平和の象徴―岡田卓也 ―』 日本経済新聞出版社、2013年10月。ISBN 978-4-532-28018-5〕、その後当社の鳴子ショッピングセンターやジャスコの瀬戸ショッピングセンター〔『日本商業年鑑 1970年版』 商業界、1970年。〕、ダイヤモンドシティ名西 〔『ダイヤモンドシティ「名西ショッピングセンター」6月20日(月)35年の歴史に幕』 ダイヤモンドシティ (2005年5月18日)〕など互いに出店しあう共同での出店も行われた時期があった。
リーマンショックによる経済状況の変化に対応するため、チラシを廃止して従来より約20%安くする常時低価格(EDLP)を実現するディスカウント店の1号店として「ザ・チャレンジハウス太平通店」を2009年(平成21年)7月4日に開業した〔“ヤマナカ、初のEDLP店「ザ・チャレンジハウス太平通店」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年7月13日)〕。
また、2010年(平成22年)11月には新ポイントカードのグラッチェカードを導入し、2011年(平成23年)2月には名古屋市港区のしおなぎ生鮮加工センターを稼動させるなど、顧客の囲い込みや経費節減を見据えた戦略も並行して進めている〔海野裕之 (2010年10月18日). “ヤマナカ、将来を見据え布石 PCセンター稼働・ポイントカード導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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