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ヤング・ブリティッシュ・アーティスト : ミニ英和和英辞書
ヤング・ブリティッシュ・アーティスト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヤング・ブリティッシュ・アーティスト : ウィキペディア日本語版
ヤング・ブリティッシュ・アーティスト[ちょうおん]

ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(''Young British Artists; YBAs'')は、イギリスを中心に活動する1990年代当時若手のコンセプチュアルアーティスト画家彫刻家などの総称。ブリット・アーティスト(''Brit artists'')、ブリットアート(''Britart'')とも略される。「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」という名前は、1992年にロンドンのサーチ・ギャラリーで開催され出展作家たちを一躍有名にした同名の展覧会から取られている。主な美術家にはダミアン・ハーストトレイシー・エミンがいる。
YBAsのアーティストの多くは、ゴールドスミス・カレッジロンドン)などのアートスクール出身である。彼らはイースト・ロンドンのホクストン地区など下町の倉庫街で活動し、不用品や動物などの素材を使い世間にショックを与えるような戦略をとった。このためメディアでは賛否両論であったが、1990年代の英国美術界は彼らが席巻した。
== フリーズ ==
YBAsの中核となる美術家たちは1988年に活動を開始した。彼らが美術学生だった当時、美術に対する政府などの公的な支援はまだなく(マーガレット・サッチャー政権下で削減されていた)、美術商もイギリスの若い美術家には関心を持たなかった。同年7月、ロンドン東部ドックランズのサリー商業ドックにあった港湾局の空いた建物(しばしば「倉庫」と紹介されるが、実際には港湾局の庁舎)を用い、16人のゴールドスミスカレッジの学生たちによる自主企画展覧会『フリーズ(Freeze)』が開催された。この展覧会の主たる企画者は、同大学の2年生だったダミアン・ハーストだった。この展覧会は、ロンドン・ドックランズ開発公社と、同時ドックランズの開発に関わっていたデベロッパーのオリンピア&ヨークが後援し、非常に質の高いカタログが用意されたが、この展覧会に当時のイギリスの画廊は関心を示さなかった。しかしゴーストスミスの講師でこれらの学生の教師であったマイケル・クレイグ=マーティンはつてを使ってロンドンの美術界の影響力のある人物を呼ぼうとし、キュレーターのノーマン・ローゼンタールやニコラス・セロタらがこの展覧会を訪れた。また後にYBAsの支援者となったアートコレクターのチャールズ・サーチ(大手広告代理店サーチ・アンド・サーチの経営者で、サーチ・ギャラリーの所有者)はこの展覧会でハーストらを紹介されている。
これは画廊でも美術館でもない、安く使える倉庫跡などの「オルタナティブ・スペース」を使ったアーティスト企画型の展覧会の皮切りになり、倉庫を占拠してレイヴパーティーを行うなどといった当時のサブカルチャーとも結びついた。
ハーストのリーズ在住時代からの親友でハーストの最初の展示も手伝ったカール・フリードマンは、ビリー・セルマンとともに、1990年に2つの影響力のある展覧会、『モダン・メディスン(Modern Medicine)』と『ギャンブラー(Gambler)』を企画し、ロンドンのバーモンジーの空き工場、ビルディング・ワンで開催した。『モダン・メディスン』展にあたって、彼らはチャールズ・サーチほかイギリスの美術界の大物達から1,000ポンドの後援を集めることができた。ただ、多くの人が観覧したとはいえない状態だった。
サウス・ロンドンのシティ・レーシングなど、非営利のオルタナティブ・スペースは多くの若い美術家の最初の展覧会の場を提供した。またイースト・ロンドンのホクストンやショーディッチなどでは、ジョシュア・コムストンの所有するギャラリーがこれらの作家を育む活動を行った。1991年、公営の美術館サーペンタイン・ギャラリーが、ハーストの企画で新世代の美術家に関する最初の研究となる展覧会、『ブロークン・イングリッシュ(Broken English)』を開催した。そして1992年にはチャールズ・サーチが自らのギャラリーで『ヤング・ブリティッシュ・アーティスト』という題の展覧会を連続して開催した。その第1回はダミアン・ハースト、サラ・ルーカスマーク・ウォーリンジャーレイチェル・ホワイトリードが取り上げられた。
YBAsの第2の波は1992年から1993年にかけて、『ニュー・コンテンポラリーズ(New Contemporaries)』、『ニュー・ブリティッシュ・サマータイム(New British Summertime)』、『ミンキー・マンキー(Minky Manky)』などの展覧会から登場した。この中にはダグラス・ゴードントレイシー・エミン、クリスティン・ボーランド、フィオナ・バナー、タシタ・ディーン、ジョージナ・スター、ウィルソン・シスターズらがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」の詳細全文を読む




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