翻訳と辞書
Words near each other
・ ヤング鉗子
・ ヤング=ヘルムホルツの三色説
・ ヤンゲリ設計局
・ ヤンゲル設計局
・ ヤンコビッチ
・ ヤンコヴィッチ
・ ヤンコ・ケルスニク
・ ヤンコ・ティプサレビッチ
・ ヤンコ・ニロヴィック
・ ヤンコ・プルンク
ヤンコ・ヴコチッチ
・ ヤンコ・ヴコティッチ
・ ヤンゴン
・ ヤンゴン・エアウェイズ
・ ヤンゴン・セントラル駅
・ ヤンゴン・ユナイテッドFC
・ ヤンゴン国際空港
・ ヤンゴン地方域
・ ヤンゴン川
・ ヤンゴン日本人会


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヤンコ・ヴコチッチ : ミニ英和和英辞書
ヤンコ・ヴコチッチ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ヤンコ・ヴコチッチ ( リダイレクト:ヤンコ・ヴコティッチ ) : ウィキペディア日本語版
ヤンコ・ヴコティッチ
ヤンコ・ヴコティッチ(、1866年2月18日 - 1924年2月4日)は、モンテネグロユーゴスラビアの軍人、政治家。少将。モンテネグロの国防相、首相を歴任。
モンテネグロ、チェヴォ出身。中学校卒業後、1881年、義勇兵としてモンテネグロ軍に参加。イタリアの歩兵下士官学校を卒業し、1886年、モデナの士官学校を卒業した。1886年、モンテネグロ歩兵隊に入隊。
1905年~1914年、国会議員。1910年のモンテネグロ軍再編の際、第1師団長に任命された。1912年~1913年のバルカン戦争時、西部支隊を指揮し、最高司令部本部を率いた。1913年のバルカン戦争時、セルビア戦線において、モンテネグロ師団を指揮。1913年のブカレスト和平の代表団に加わった。1913年4月25日からモンテネグロ国防相(戦時中は国防相を離れ、外務相を兼任)兼閣僚会議議長(首相)、侍従武官。
第一次世界大戦勃発と共に、ヘルツェゴビナ支隊司令官、1914年10月中旬からサンツァッチ支隊司令官。1914年12月、ヴコチッチ内閣は総辞職した。モンテネグロ軍が大損害を被った後、ニコラ1世は国を離れ、ヴコチッチに全権を委譲し、1916年1月3日、彼をモンテネグロ最高司令部参謀長に任命した。1月21日、モンテネグロ軍は降伏し、ヴコチッチは抑留された。
1919年4月、将官としてユーゴスラビア軍に移る。1920年8月から第2軍管区本部で勤務し、その後、シュマジス、ボサン師団区司令官を歴任。1927年から軍事会議議員。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤンコ・ヴコティッチ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.