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ヤン・パトチカ : ウィキペディア日本語版
ヤン・パトチカ

ヤン・パトチカ(Jan Patočka, 1907年6月1日-1977年3月13日)は、チェコ哲学者。ヤン・パトチュカとも。
==経歴==
東ボヘミアのトゥルノフに生まれる。1928年、パリのソルボンヌ大学に留学。1932年、カレル大学を卒業。ベルリンフライブルクに留学し、フッサールハイデッガーに学ぶ。1936年、カレル大学に提出した教授資格請求論文『哲学的問題としての自然的世界』を出版。1939年、ナチスチェコスロバキア侵攻によって大学が閉鎖され、解職される。1945年、大学に復帰するが、1948年のチェコスロバキア共産党クーデターによって再び解職。1950年からプラハマサリク研究所司書。1968年の「プラハの春」によって大学に再復帰するが、ソ連の軍事介入によって再び解職。
1977年、ヴァーツラフ・ハヴェルらとともに、グスタフ・フサーク政権の人権侵害に抗議する反体制運動憲章77の発起人となる。そのため逮捕され、当局の取調べ中に心臓発作で死去。
弟子にナショナリズム研究で高名なアーネスト・ゲルナーがいる。
主著は『歴史哲学についての異端的論考』で、フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を継承し、前歴史的な生命の世界としての自然的世界から、技術戦争の時代としての20世紀およびヨーロッパの運命についての思索を展開する。エルンスト・ユンガーティヤール・ド・シャルダンを引きながら、ニヒリズムの超克を主張。モデルをプラトンの「魂への気遣い」にとった。
フランスでは翻訳が多数出版されており、『歴史哲学についての異端的論考』にはポール・リクールの序文とロマン・ヤコブソンの解説が付けられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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