翻訳と辞書
Words near each other
・ ヤン・ラディスラフ・ドゥセック
・ ヤン・ラマース
・ ヤン・ラース
・ ヤン・リンデ
・ ヤン・リーフェンス
・ ヤン・ルズターク
・ ヤン・ルフ・オヘルネ
・ ヤン・ルーベス
・ ヤン・レズナク
・ ヤン・レッツェル
ヤン・レツル
・ ヤン・レフラ
・ ヤン・レンツマン
・ ヤン・ロストフスキ
・ ヤン・ロムルダー
・ ヤン・ン
・ ヤン・ヴァウテルス
・ ヤン・ヴァンデルロースト
・ ヤン・ヴァンハル
・ ヤン・ヴァン・エイク


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヤン・レツル ( リダイレクト:ヤン・レッツェル ) : ウィキペディア日本語版
ヤン・レッツェル

ヤン・レッツェルJan Letzel, 1880年4月9日 - 1925年12月26日)は明治末期から大正にかけて主に日本で活動したチェコ人建築家
広島市広島県物産陳列館(後の原爆ドーム)の設計者として有名。ヤン・レツルとも表記される。
== 経歴 ==
1880年(明治13年)にオーストリア・ハンガリー帝国(現チェコ共和国)のボヘミアの町ナーホトに生まれた。実家はホテルを経営していた。高等専門学校で建築を学び、1899年にパルドゥビツェの学校の土木課の助手の職を得る。
1901年には奨学金を得、プラハの美術専門学校()に入学しチェコの近代建築の重鎮の一人であるに師事する。1902-3年にかけて、研修のためボヘミア、ダルマチアモンテネグロヘルツェゴヴィナを訪れた。彼はコチェラから石やコンクリートによるシンプルな近代建築の手法の影響を受けたほか、ユーゲント・シュティールアール・ヌーヴォーの影響も吸収した。
1904年に卒業し、Quido Belsky設計事務所でプラハのヴァーツラフ広場のGrand Hotel Evropaの外装、プラハの北西約40kmにある温泉地ムシュネー(:en:Mšené-lázně)のHall of Msene Springsの設計に携わった。1905年にはエジプトカイロのPascha設計事務所に勤める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤン・レッツェル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jan Letzel 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.