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ヤーコポ・ダ・ボローニャ : ミニ英和和英辞書
ヤーコポ・ダ・ボローニャ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヤーコポ・ダ・ボローニャ ( リダイレクト:ヤコポ・ダ・ボローニャ ) : ウィキペディア日本語版
ヤコポ・ダ・ボローニャ[ちょうおん]

ヤコポ・ダ・ボローニャJacopo da Bologna, 活動時期:1340年頃 - 1360年頃)は、14世紀イタリアトレチェント音楽の初期の音楽家。イタリアに初めて多声音楽をもたらした作曲家の一人。
1340年代よりミラノ僭主ルキーノ・ヴィスコンティの宮廷に出入りし、マギステル・ピエーロジョヴァンニ・ダ・カッシャとともに活動した。1350年頃、ヴェローナスカラ家のマスティーノ2世の宮廷において、ジョヴァンニ・ダ・カッシャと音楽を競い合ったという記述が残されている。この3人のうちでは一番高名で残された作品も多い。おそらくヴィスコンティの宮廷で出会ったと思われるが、ペトラルカと知人であったらしく、ペトラルカの詩による作品を残している。
ヤコブス・デ・ボノーニア(Jacobus de Bononia)、ヤコブス・ボノニエンシス(Jacobus Bononiensis)などの別称が知られていて、ボローニャ出身であることを示している。
31曲のマドリガーレ(このうち2曲がカノン)、1曲のバッラータ、1曲のカッチャ、2曲のモテットがスクアルチャルーピ写本(Squarcialupi Codex)、パンチャティーキ写本(Panciatichi 26)、レイナ写本(Reina Codex)などに残されている。
代表的な曲として、3声の3重マドリガーレ『誇り高き鷲』(''Aquila altera'')、2声のマドリガーレ『我は不死鳥なりき』(''Fenice fu'')、ペトラルカのテキストに基づく2声のマドリガーレ『ディアーナが愛する男にこころよく思われなくなったのは』(''Non al suo amante piú Dïana piacque'')そしてルキーノ・ヴィスコンティに双子が誕生したことを歌ったことから1346年8月頃の作とされる2声のマドリガーレ『おおイタリアのすばらしきリグーリア』(''O in Italia felice Liguria'')などが挙げられる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤコポ・ダ・ボローニャ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jacopo da Bologna 」があります。




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