|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ユウフヨウホウは日本の競走馬。2001年の中山大障害を最低人気で制した。馬名の由来は冠名「ユウ」に「芙蓉峰」。 父ラグビーボール、母はカブトヤマ記念優勝馬で優駿牝馬(オークス)2着のユウミロク。全兄に長距離重賞3勝のユウセンショウ、半兄に中山グランドジャンプ連覇の名ジャンパーゴーカイ、半弟に障害で落馬6回のマイネルユニバースがいる。 == 戦績 == デビューは遅く、2000年3月25日に中京競馬場で行われた4歳未出走戦。11頭立てで9着に終わるとその後は芝長距離を選んで出走し、計6戦したものの最高が5着と勝ちきれず、半兄ゴーカイの活躍もあってその年の10月にはあっさりと障害入りする。障害デビュー戦は5着に終わるものの徐々に飛越を覚えて4戦目で初勝利。昇級後初戦で3着、2戦目で2着と健闘するが、その後は勝ち馬から大きく離されるレースを続ける。 そして迎えた2001年暮れの中山大障害。10頭立てと少頭数になり、春に中山グランドジャンプ連覇を達成しこのレース2年連続2着の兄ゴーカイが1.8倍の1番人気、東京ハイジャンプ勝ち馬で前走の障害オープンで9馬身差の圧勝したカネトシガバナーが2番人気に推されるなかで、ユウフヨウホウは単勝100倍超の最低人気での出走となる。 レースはスタートからカネトシガバナーが先頭に立つが、3番人気マキハタコンコルドが早々に落馬、4番人気ギフテッドクラウンも大竹柵障害で落馬、カネトシガバナーもハイペースが祟ったのか最終障害で落馬するなど計4頭が落馬する荒れた展開となる。上位人気が次々に競走中止していくなかで、早め先頭に立ったゴーカイの念願の中山大障害優勝なるかと思われたが、最後の直線に賭けたユウフヨウホウが一気に差し切り、ゴーカイに2馬身差をつけて優勝。兄弟での1、2着を達成した。騎乗した今村康成は、初の重賞勝利をJ・GIで果たした。ゴーカイはこのレース3年連続の2着となり、翌年の中山大障害に出走することなくターフを去っている。 ユウフヨウホウは、その後2戦は連続で落馬、それからも掲示板に載ったのは勝ち馬からは5秒離され6頭落馬した2003年の阪神スプリングジャンプのみで、2年後の同レースを最後に引退した。結局生涯で勝利したのはわずかに2回、2着も1回だけであり、一発屋であったといえる。 現在は馬術競技馬として名古屋学院大学馬術部に所属。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユウフヨウホウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|