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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ユニバーサル・プロレスリングは、日本のプロレス団体。日本で初めてルチャ・リブレ的なプロレスを基本とした団体。設立当初はユニバーサル・レスリング連盟(ユニバーサル・レスリングれんめい)、ユニバーサル・レスリング・フェデレーションとも称していた。 略称は「UWF」だが同時期に活動した同名団体「UWF」、米国の同名団体「UWF」とは組織的なつながりはない。 == 概要 == === 旗揚げまでの経緯 === 元新日本プロレス営業本部長で、UWFの設立にも関わった新間寿は、旧ジャパンプロレス社長であった大塚直樹やジャパン女子プロレス社長の持丸常吉らとともに「格闘技連合(かくとうぎれんごう)」の設立を計画してジャパン女子プロレスのレフェリーとして活動していたグラン浜田、営業部員であった大仁田厚を手駒としてジャパン女子プロレスを母体にプロレス、空手などを混合した団体への計画を構想していた。しかしジャパン女子の混合団体化は選手、ファンなどからの反対で頓挫したため、新間らはフリーとして活動を再開していた大仁田が設立したFMWを支援する方向へ方針転換。 ところが、蓋を開けてみればFMWは「マーシャルアーツ」を称していたものの、デスマッチ志向が強かった事や様々なハプニングが起こり、新間らが目指していた「格闘技連合」という方向性から大きく逸脱していた事で撤退を決意。当時、広告代理店に勤務していた息子である新間寿恒とともに、子飼いであった浜田を所属選手とする形で、メキシコの流れを組むルチャリブレ団体の設立を計画。 1990年1月17日に「ユニバーサル・レスリング連盟(ユニバーサル・レスリングれんめい)」を設立。日本人所属選手が浜田一人であった事から、当時メキシコで活躍し新日本プロレスへ凱旋参加が決定していた浅井嘉浩(現:ウルティモ・ドラゴン)を浜田が口説いて参加させた。また、FMWに参加していた秋吉昭二(現:邪道)、高山圭司(現:外道)、脇田洋人(現:スペル・デルフィン)らを加えて、陣容を整えた。経営陣には新間寿恒が代表兼プロモーターに、旧ジャパンプロレスの会長であった竹田勝司が会長に、大塚が最高顧問に就任するなど、新間寿自身は経営陣には加わらなかったものの、寿の交友関係から強力なバックアップ体制を敷いた形を取った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユニバーサル・プロレスリング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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