翻訳と辞書
Words near each other
・ ユリウス・フォン・ザックス
・ ユリウス・フチーク
・ ユリウス・フチーク (ジャーナリスト)
・ ユリウス・フチーク (作曲家)
・ ユリウス・フュルスト
・ ユリウス・フラウエンシュテット
・ ユリウス・フランツ (ザクセン=ラウエンブルク公)
・ ユリウス・フリードリヒ (ヴュルテンベルク=ヴァイルティンゲン公)
・ ユリウス・フレーベル
・ ユリウス・ブリュートナー
ユリウス・ブーツ
・ ユリウス・プロクルス
・ ユリウス・ヘルマン・シュルテス
・ ユリウス・ベルガー
・ ユリウス・ベーリック
・ ユリウス・ポコルニー
・ ユリウス・マイヤー=グラーフェ
・ ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルク
・ ユリウス・リヒャルト・ペトリ
・ ユリウス・リーツ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ユリウス・ブーツ : ミニ英和和英辞書
ユリウス・ブーツ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ユリウス・ブーツ : ウィキペディア日本語版
ユリウス・ブーツ[ちょうおん]

ユリウス・エミール・マルティン・ブーツJulius Emil Martin Buths, 1851年5月7日 - 1920年3月12日)は、ドイツピアニスト指揮者作曲家。ブーツはとりわけ早くからドイツでエドワード・エルガーの音楽を得意としていたことで知られる。エルガーの『エニグマ変奏曲』と『ゲロンティアスの夢』のヨーロッパ大陸初演は、ブーツの指揮で行われた。また、フレデリック・ディーリアスグスタフ・マーラーとの関係でもよく知られている。
== 生涯 ==
ブーツはプロイセンヴィースバーデンで、オーボエ奏者の息子として生まれた。彼が受けた音楽教育は、ケルンでのフェルディナント・ヒラーらの下でのもの、ベルリンでのフリードリヒ・キールからのもの、またイタリアパリにおけるものがある。1875年から1879年にかけてはヴロツワフで指揮者として働き、その後1890年まではエルバーフェルトタクトを握った。その年にデュッセルドルフ音楽監督に任命されたブーツは、以降何年にもわたってライン音楽祭で重要な役割を果たす〔Eric Blom, ed., ニューグローヴ世界音楽大事典, 5th ed., 1954, Vol. 1, p. 1048〕。1890年開催の際はハンス・リヒターとの共同監督であったが、1983年は単独監督となり、1896年ヨハネス・ブラームスリヒャルト・シュトラウスとの共同、1899年1902年はシュトラウスと共同、1905年は単独監督をこなしたのである〔訳注:この当時、ライン音楽祭の開催都市はデュッセルドルフ、ケルン、アーヘンの3都市の持ち回りであり、デュッセルドルフ監督のブーツの登場が3年に1回なのはそのためである。参照ライン音楽祭 (英語)〕。
デュッセルドルフでは、ブーツは頻繁にマックス・レーガーヨーゼフ・ヨアヒムの室内楽作品を演奏した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユリウス・ブーツ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.