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ユリエスキ・グリエル・カスティーヨ(Yulieski Gourriel Castillo , 1984年6月9日 - )は、キューバ共和国サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス出身の野球選手(内野手)。右投右打。 == 経歴 == === キューバ球界 === 17歳であったに、ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの選手として、キューバの国内リーグ(セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル)にデビューした。 10月に、第35回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。 8月に、アテネオリンピックにおける野球競技のキューバ代表に選出された。 9月に、第36回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。この大会では、8本塁打を記録した。 -シーズンには本塁打・打点の二冠王を獲得したほか、当時国内リーグ史上初の20本塁打・20盗塁を達成した〔「キューバシリーズ 2005-2006 ペナントレースの終了、並びにプレーオフ開始、及び個人タイトルについて 」 『日本野球連盟 』、2006年4月26日。2007年7月29日閲覧。〕。 3月に、この年から開催される事となったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のキューバ代表に選出された〔Tournament Roster WBC公式サイト ''英語'' 2015年4月15日閲覧〕。この大会では、二塁手として出場し、打率.273・出塁率.342・長打率.515の成績で大会ベストナインに選ばれた。 2006-シーズンは本塁打数が半減してしまったが、これはこのシーズンから公式戦で使用されるボールが、ミズノ製のものから自国製のもの(いわゆる「飛ばないボール」)へ変更され、リーグ全体の打撃成績が低くなった影響と見られる〔「第46回キューバリーグ(06-07シーズン) プレーオフ 」 『日本野球連盟』、2007年3月26日。2007年7月29日閲覧。〕。 2006年7月末には「コロンビアで開催されている国際大会に遠征中、エドゥアルド・パレとともに亡命した」とESPNのウェブサイトで報じられ〔ESPN.com news services, "Report: Cuban baseball players defect in Colombia ," ''ESPN.com'', July 28, 2006. 2007年7月29日閲覧。〕ニューヨーク・ヤンキースが獲得に興味との噂が出たが、その後本人が否定した〔Enrique Rojas, "Cuban star Gourriel has no interest in deserting ," ''ESPN.com'', August 2, 2006. 2007年7月29日閲覧。〕。 8月に、北京オリンピックにおける野球競技のキューバ代表に選出され2大会連続2度目の選手となった。決勝戦では1点ビハインドの9回に1アウト満塁のチャンスで鄭大炫から併殺打を打ち、キューバは韓国に敗北、銀メダルに終わった。 3月に、第2回WBCのキューバ代表に選出され〔Tournament Roster WBC公式サイト''英語'' 2015年3月15日閲覧〕2大会連続2度目の選出となった。 7月に開催された第26回ハーレムベースボールウィークのキューバ代表に選出された。この大会では、出塁率.500を記録、MVPに選ばれた。11月6日には、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」のキューバ代表が発表され〔日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧〕代表入りした〔 NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧〕。同日、台湾で行われたサンダーシリーズのため来台した〔arrives for Thunder Series in Taichung and Taoyuan IBAF公式サイト ''英語'' (2012年11月7日) 2015年4月19日閲覧〕。サンダーシリーズ終了後の、14日に来日した〔 スポニチアネックス (2012年11月15日) 2015年4月19日閲覧〕。 3月に、第3回WBCのキューバ代表に選出され〔Tournament Roster WBC公式サイト ''英語'' 2015年4月15日閲覧〕3大会連続3度目の選出となった。この大会では、オランダとの決勝ラウンド進出決定戦で最終回の表に盗塁走塁ミスを二回繰り返しビクトル・メサ監督に激怒され、裏にエラーをしてそのランナーがホームをふむなど、大会打率.280の不振で終えた。チームはオランダに敗れ、決勝ラウンド進出を逃した。また、国内リーグでは、所属チームをサンクティ・スピリトゥスからレオネス・デ・インダストリアレスに変更している。 2月4日には、MLB.comの取材に対して、「12年間キューバでプレーしてきたが、今は国外でプレーしたい」との意向を示した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユリエスキ・グリエル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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