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ユリヤ・チェパロワ : ミニ英和和英辞書
ユリヤ・チェパロワ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ユリヤ・チェパロワ : ウィキペディア日本語版
ユリヤ・チェパロワ



ユリヤ・チェパロワ(Yuliya Anatolyevna Chepalova、、1976年12月23日 - )はソビエト連邦ハバロフスク地方コムソモリスク・ナ・アムーレ出身の元クロスカントリースキー選手。ロシア代表として活躍した。夫はトリノオリンピック銅メダリストのヴァシーリー・ヴァシーリエヴィチ・ロチェフ
== プロフィール ==
チェパロワは父アナトリ・チェパロフの指導の元、歩き始めてすぐにスキーを始め、1986年から旧ソ連のスポーツエリート育成システムの中で実力を蓄えた。ソ連ナショナルジュニアチームの監督を務めていた父は娘の成功のために全財産を投じた。
チェパロワは1993年のノルディックスキージュニア世界選手権で国際大会にデビューし、15kmフリーで銀メダルを獲得、1994年から1996年まで同種目で3連覇を達成した。
1995-1996シーズンにクロスカントリースキー・ワールドカップにデビューし、総合14位となった。
1998年1月4日に10kmフリーでワールドカップ初勝利、同年の長野オリンピックではパシュート6位入賞、30kmフリーでは金メダルを獲得した。
2000年にドミトリー・リアシェンコと結婚。
2001年ノルディックスキー世界選手権ではリレーで金メダル、個人スプリントで銅メダルを獲得、2001-2002シーズンのワールドカップ総合優勝。2002年ソルトレイクシティオリンピックにおいては個人スプリント金、10kmクラシカル銀、15kmフリー銅と3個のメダルを獲得した。
2002-2003シーズンは長女出産のため全休。2005年ノルディックスキー世界選手権ではパシュートで金メダル、10kmとリレーで銀メダル、チームスプリントで銅メダルを獲得した。更に2006年トリノオリンピックでもリレーで金、30kmフリーで銀メダルを獲得した。
2006-2007シーズンは2番目の夫ヴァシーリー・ヴァシーリエヴィチ・ロチェフとの娘を出産するため再び全休。
2009年8月、同年1月3日のヴァル・ディ・フィエンメにおけるドーピング検査で陽性反応が出たことが発表され、12月23日にFISはチェパロワに2011年8月20日までの出場停止処分を下した。これを受けチェパロワは現役を退いた。
ホルメンコーレン大会の30kmで1999年、2004年、2006年の3度優勝、2004年にホルメンコーレン・メダルを受章した。ワールドカップ通算18勝(2位8回、3位7回)、総合優勝1回(2000-2001シーズン)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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