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ユルゲン・グラボウスキ : ミニ英和和英辞書
ユルゲン・グラボウスキ[らぼ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラボ : [らぼ]
 【名詞】 1. (abbr) laboratory 2. language laboratory 3. (P), (n) (abbr) laboratory/language laboratory

ユルゲン・グラボウスキ : ウィキペディア日本語版
ユルゲン・グラボウスキ[らぼ]

ユルゲン・グラボウスキ(Jürgen Grabowski, 1944年7月7日 -)は、ドイツサッカー選手。選手時代のポジションはフォワードミッドフィールダー
== 経歴 ==
1960年ヴィースバーデンのというアマチュアクラブに入団したが、1965年に監督のに認められアイントラハト・フランクフルトへ移籍した〔。フランクフルトでは主にゲームメーカーとしてプレーし、1980年に退団するまでの間にリーグ通算441試合に出場し109得点を記録し、2度のDFBポカール優勝 (1973-74, 1974-75) に貢献した。また、1977年12月には暫定監督として1試合の指揮を執った。
西ドイツ代表としては1966年5月7日に行われたアイルランド代表との国際親善試合でデビューし〔、同年にイングランドで開催された1966 FIFAワールドカップの代表メンバーに選出された〔。当時の代表の中盤はフランツ・ベッケンバウアーギュンター・ネッツァーヴォルフガング・オヴェラートらを擁していたため出場機会を得ることは困難だったが〔、スーパーサブもしくは本来の攻撃的ミッドフィールダーではなく右ウイングのポジションを獲得〔。1970年メキシコで開催された1970 FIFAワールドカップ1974年に地元西ドイツで開催された1974 FIFAワールドカップと3大会連続でワールドカップ出場を果たすなど、国際Aマッチ44試合出場5得点を記録した〔。
1980年3月15日に行われたリーグ戦のボルシア・メンヒェングラートバッハ戦において、ローター・マテウスからタックルを受け負傷したため〔、UEFAカップ1979-80決勝に出場することは出来ず〔。この時の怪我が基で1979-80シーズン限りで現役を引退した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユルゲン・グラボウスキ」の詳細全文を読む




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