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ユンデン・ワンチュクは、モンゴル(内蒙古)の王族・政治家、中華民国の政治家。一般に、雲王と略称される。 == 事跡 == 1890年(光緒16年)、ハルハ(喀爾喀)右翼旗ジャサク(札薩克)・ダルハン・ベイレ(貝勒)を継承する。1912年(民国元年)、親王として北京政府から認められ、ウランチャブ盟長とダルハン旗旗長を務めた。1932年(民国21年)10月、綏遠省ウランチャブ盟保安長官に任命された。 1933年(民国22年)7月、ユンデン・ワンチュクは、デムチュクドンロブ(徳王)とともに内蒙古自治会議を開催し、内蒙古の「高度な自治」を要求する運動を開始した。9月、内蒙古自治政府(後の内モンゴル自治政府とは別物)の委員長に、翌年3月には、蒙古地方自治政務委員会委員長に選出された。1935年(民国24年)2月、国民政府委員に任命されている。 1936年(民国25年)5月、日本軍の援助・介入により蒙古軍政府が成立すると、ユンデン・ワンチュクが主席に、デムチュクドンロブが総裁に、それぞれ選出された。次いで、翌年10月に蒙古聯盟自治政府が成立すると、引き続きユンデン・ワンチュクが主席となっている。 1938年3月24日、68歳で病没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユンデン・ワンチュク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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