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ユーリ・ラリョーノフ : ミニ英和和英辞書
ユーリ・ラリョーノフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ユーリ・ラリョーノフ ( リダイレクト:ユーリ・ラリオノフ ) : ウィキペディア日本語版
ユーリ・ラリオノフ[ちょうおん]

ユーリ・ユリエヴィチ・ラリオノフ(、、1986年8月19日 - )は、ロシアノヴォシビルスク出身の男性フィギュアスケート選手(ペア)。パートナーはナタリア・ザビアコベラ・バザロワ
2010年バンクーバーオリンピック2014年ソチオリンピックロシア代表、2012年ヨーロッパ選手権2位、2012年グランプリファイナル2位、2012年ロシア選手権優勝、2007年世界ジュニアフィギュアスケート選手権2位。
== 経歴 ==
ロシアのノヴォシビルスクに生まれ、4歳ころにスケートを始めた。やがてベラ・バザロワとペアを結成し、2006-2007年シーズンよりISUジュニアグランプリに参戦を果たした。JGPスピンオブノルウェーで4位、JGP台湾杯で2位となり、初進出のJGPファイナルでは7位となったものの、世界ジュニア選手権では2位となる。
2007-2008年シーズンはISUジュニアグランプリのJGPジョン・カリー記念で優勝、シニアクラスのISUグランプリシリーズスケートアメリカにも参戦し3位と躍進する。しかし優勝を果たしたはずのJGPファイナルで、競技前に実施されたドーピング検査でラリオノフに陽性反応があり〔http://www.juniorworlds2008.com/?go=news&p=more&newsId=9〕失格、2年間の出場停止が課せられた。
出場停止がとけた2009年のロステレコム杯で4位、ロシア選手権で3位になり、ロシア代表としてヨーロッパ選手権バンクーバーオリンピック世界選手権に出場した。
2010-2011シーズン、グランプリシリーズ2戦に初めて出場し、両大会ともに2位。グランプリファイナルに初出場を果たした。ヨーロッパ選手権では銅メダル獲得、世界選手権では5位入賞し前年よりも良い成績を残した。
2011-2012シーズン、ロシア選手権では初優勝。なお、この大会には前回大会の上位2組は出場していなかった。ヨーロッパ選手権では2年連続でメダルを獲得。ロシアの表彰台独占の一翼を担った。
2012-2013シーズン、ネーベルホルン杯のSPでバザロワが臀部を負傷し棄権。一時は手術の可能性もあったが行わなかった〔〕。グランプリシリーズは予定通り出場し、ロステレコム杯で2位、NHK杯ではグランプリシリーズ初優勝、2年ぶりに出場のグランプリファイナルでは2位。ロシア選手権は靴のトラブルのために欠場〔〕。つづくヨーロッパ選手権は手首の怪我のために欠場〔〕。3月にはニーナ・モーゼルにコーチを変更した〔〕。
2013-2014シーズン、ソチオリンピックでは6位入賞。世界選手権では7位に入るもバザロワとのペア解消を発表した〔〕。4月にはエストニアナタリア・ザビアコとのペアを結成した〔〕。
2014-2015シーズン、ロシア選手権では7位。2月のカップオブロシアファイナルの前には痛みがあり練習することが出来ず、病院に行ったところ皮膚筋炎で最低でも全治6ヶ月との診断を受けた〔〕。シーズン終了後、ザビアコとのペアを解散した〔〕。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユーリ・ラリオノフ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yuri Larionov 」があります。




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