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ユーリー・ファイエル : ミニ英和和英辞書
ユーリー・ファイエル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ユーリー・ファイエル : ウィキペディア日本語版
ユーリー・ファイエル[ちょうおん]

ユーリー・フョードロヴィチ・ファイエル(、 Yuri Fyodorovich Faier、1890年1月17日ユリウス暦1月5日) キエフ - 1971年8月3日 モスクワ)はソビエト連邦指揮者ソ連人民芸術家1951年授与)。スターリン賞受賞者。バレエ指揮者として知られた。
== 概要 ==
1906年にキエフの音楽学校を卒業し、ヴァイオリニストとしていくつかのオーケストラに所属、1909年から1910年の間はリガ歌劇場でコンサートマスター及び指揮者として、1914年から1915年の間はジミーン・オペラ劇場でヴァイオリニストとして活動した。1917年モスクワ音楽院に入学し、ヴァイオリンゲオルギー・ドゥロフに師事する(1919年卒業)。また、ヴァイオリニスト、作曲家ボリショイ劇場のバレエ指揮者として活躍したアンドレイ・アレントス(1855年 - 1924年)に指揮法を学んでいる。1916年にボリショイ劇場のコンサートマスターとなり、1919年に、ドリーブの『コッペリア』を指揮して同劇場での指揮者としてのデビューを果たした。1923年から1963年までの40年間にわたり常任指揮者として活躍し、作曲家、振付師とともに優れた舞台を作り出し、ボリショイ・バレエの黄金期を築き上げた。
バレエのレパートリーは50曲以上に及び、そのうちの多くがボリショイ劇場初演作品であった。主なレパートリーのうち同時代のソ連作曲家の作品には、グリエールの『赤いけしの花』〔1927年、ボリショイ劇場における初演指揮を担当。〕、『青銅の騎士』、アサフィエフの『バフチサライの泉』、『パリの炎』、プロコフィエフの『ロメオとジュリエット』〔1940年レニングラードキーロフ歌劇場におけるソ連初演指揮を担当。〕、『シンデレラ』〔1945年、ボリショイ劇場における初演指揮を担当。〕、『石の花』〔1954年、ボリショイ劇場における初演指揮を担当。〕、ハチャトゥリアンの『ガイーヌ』、『スパルタクス』、ショスタコーヴィチの『明るい小川』などがある。
メロディアに残された録音もバレエ作品が多く、ドリーブの『コッペリア』、チャイコフスキーの『白鳥の湖』、グラズノフの『ライモンダ』、『お嬢さん女中(恋愛合戦)』、グリエールの『赤いけしの花』、『青銅の騎士』などがある。
1937年ロシア連邦共和国人民芸術家、1951年にソ連人民芸術家の称号を授与された他、4度にわたりスターリン賞を受賞している。
*1941年:スターリン賞第2席 高い水準のバレエ上演に対して
*1946年:スターリン賞第1席 バレエ『シンデレラ』上演に対して
*1947年:スターリン賞第1席 バレエ『ロメオとジュリエット』上演に対して
*1950年:スターリン賞第2席 バレエ『赤いけしの花』上演に対して

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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