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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヨシフ・アントノヴィチ・ゴシケーヴィチ(ベラルーシ語:; 、1814年 - 1875年10月5日)は、ロマノフ朝ロシア帝国の外交官、東洋研究家。ベラルーシ人。ロシア帝国の初代日本駐在領事である。姓はゴシケヴィッチとも表記される。 ※以下、日付は主として露暦(ユリウス暦)による。 == 略歴 == 1814年、ベラルーシのミンスク県レチツァ郡ヤキモヴォ・スロボダ(現ベラルーシ共和国ゴメリ州)〔在ベラルーシ日本国大使館「ゴシケーヴィチ生誕200年」〕で、ロシア正教会の神父の子として生まれる〔伊藤2009、11p。〕。ミンスク神学校を経て、1839年にサンクトペテルブルク神学校を卒業。翌年から1848年までロシア宣教師団の一員として、北京に駐在する。駐在中、中国語・漢字を学ぶ。帰国後、ロシア外務省アジア局に入り、1852年からエフィム・プチャーチン海軍中将率いる日本派遣使節団に中国語(漢文)通訳として加わった。この後、日本人、橘耕斎から日本語を学ぶ。帰国途中、樺太沖でイギリス軍艦に拿捕され(当時、クリミア戦争により英露は敵対関係にあった)、戦争が終わるまでの9ヶ月間、艦内で抑留生活を送る。この間、橘とともに和露辞典『和魯通言比考』を作成した〔伊藤2009、27-31p。ロシアでは1857年サンクトペテルブルクで出版。〕。この和露辞典は帝国科学アカデミーのデミードフ賞受賞対象となり、金メダルを授与された〔。1857年12月21日、日本語の知識を認められ、アレクサンドル・ゴルチャコフ外相から初代駐日領事に任命された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨシフ・ゴシケーヴィチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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