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ヨシュト ( リダイレクト:ヨープスト・フォン・メーレン ) : ウィキペディア日本語版
ヨープスト・フォン・メーレン

ヨープスト・フォン・メーレン:Jobst von Mähren, 1351年 - 1411年1月18日)は、ルクセンブルク家モラヴィア辺境伯(在位:1375年 - 1411年)、後にルクセンブルク(在位:1388年 - 1402年1407年 - 1411年)、ブランデンブルク選帝侯(在位:1388年 - 1411年)、ドイツ王対立王、在位:1410年 - 1411年)。チェコ名ヨシュト(Jošt Moravský)、フランス名ジョス(Josse de Moravie)。父はボヘミアヨハン(盲目王)の子で神聖ローマ皇帝カール4世の弟であるモラヴィア辺境伯ヨハン・ハインリヒ。母はオパヴァラチブシュミクラーシュ2世の娘マルガレーテ。
1372年、ハンガリー宮中伯を務めるオポーレ公ヴワディスワフの娘エルジュビェタと結婚したがすぐに死別、1374年にはヴワディスワフの妹であるアグニェシュカと再婚した。2度の結婚で子供はなかった。
1388年に従兄であるハンガリージギスムントよりルクセンブルク公ブランデンブルク選帝侯などを譲られる。ただし、ブランデンブルクの統治は義弟のマイセン辺境伯ヴィルヘルム1世に委ねていた。また、ルクセンブルクは抵当に入れてオルレアン公ルイに転売した(1407年にルイが暗殺されたため、ルクセンブルクはヨープストに戻った)。
神聖ローマ皇帝ループレヒトが1410年に死去すると、ジギスムントの反対にもかかわらずヨープストを次期皇帝に推す選帝侯が(ヨープスト本人以外にも)現れて2人が並び立つ状況が続いたが、翌1411年にヨープストが死亡し、ジギスムントが単独の皇帝になった。ジギスムントはまたブランデンブルク選帝侯にも復位した。ルクセンブルクはジギスムントの姪エリーザベトが相続した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨープスト・フォン・メーレン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jobst of Moravia 」があります。




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