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ヨネカジコンビとは、日本プロ野球の阪急ブレーブスに在籍していた右投手の米田哲也と左投手の梶本隆夫のダブルエースコンビを指す愛称である。 == 概要 == 灰色の阪急と言われるほど地味なイメージを与えていた弱小チーム時代から、2人ともに引退まで大きな故障が一つも無いタフネスぶりとポーカーフェイスで黙々と投げ続けた。 揃って阪急ブレーブスに在籍していたからまでの合計勝敗数は541勝496敗。ほぼ同時期に南海ホークスのダブルエースだったからまでの杉浦忠と皆川睦雄の合計373勝217敗と比較しても大きく差を付けている。 梶本隆夫はに入団して1973年に引退するまで20年間阪急一筋で通して254勝255敗で、名球会入りしているメンバーでは唯一負け越している投手である。最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠タイトルを一度も獲得出来ない無冠の帝王だった。 米田哲也は1956年に入団して途中まで阪急で338勝278敗、残りをまで阪神タイガースと近鉄バファローズで12勝7敗と、合計350勝285敗の成績を残しており、金田正一に次いで日本プロ野球歴代2位の通算勝利数を残している。 からまでは阪急で規定投球回に到達しているのは梶本と米田のみであったが、梶本が衰えを見せ始めたからは足立光宏や石井茂雄も先発ローテに加わり、200投球回近くを投げるようになった。 に梶本がパームボールをマスターして復活を遂げ、阪急は球団初のパシフィック・リーグ優勝を果たした。・・・にも優勝を果たし、福本豊、加藤英司、山田久志ら若手選手の成長により、黄金時代を迎えた。しかし日本シリーズでは、V9巨人打線に対して梶本が16.1回・1勝3敗・防御率6.75、米田が38.2回・2勝3敗・防御率5.31、石井が19.2回・0勝1敗・防御率5.40、足立が69.1回・5勝4敗・防御率5.58〔日本プロ野球大百科 2004〕と自慢の投手陣があまり通用せず、この5度のリーグ優勝でいずれも日本一を逃した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨネカジコンビ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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