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『ヨハネの手紙二』(ヨハネのてがみに)は新約聖書正典中の一書で、公同書簡と呼ばれる書簡の一つ。他のヨハネ書簡などとともにヨハネ文書と分類されることもある。13節のみで構成され、旧約・新約を通じて聖書中最短の書である。 この記事名は新共同訳聖書に基づくものだが、『ヨハネの第二の書』(文語訳聖書)、『ヨハネの第二の手紙』(口語訳聖書、バルバロ訳聖書、フランシスコ会訳聖書、岩波委員会訳聖書)、『ヨハネの手紙 第二』(新改訳聖書)、『イオアンの第二書』(日本正教会訳聖書)などとも訳される。 == 著者・執筆年代 == 著者は1節で「長老のわたし」(口語訳〔Wikisource日本語版の:s:ヨハネの第二の手紙(口語訳)より。以下同じ。〕)と名乗っている。同じ名乗りは『ヨハネの手紙三』の冒頭にも見られる。この長老は高齢者とは限らず、個別の教会(群)の指導者と理解されるが、後代の職制としての長老とは異なるとされる。 伝統的な理解では、これらの手紙は『ヨハネによる福音書』および『ヨハネの手紙一』の著者と同じく使徒ヨハネであろうとされてきた。フェデリコ・バルバロは、その中でも第二の手紙は第一の手紙が書かれて間もない時期(西暦94年頃から100年の間)にエフェソスで成立したと推測した。『新聖書辞典』では80年代末から90年代初頭にエフェソスで作成されたという見解が伝統的な説として挙げられている。 他方で、主として高等批評の見地から疑問も寄せられ、成立は1世紀末から2世紀初頭のシリアあるいは小アジアのどこかなどとも言われ、著者の同一性についても様々な意見がある。使徒ヨハネかどうかはともかく、内容や文体の分析からも三書簡が同一人物の手になるものであろうことを主張する者がいる一方で、第二と第三が同一で第一が別、第一と第二が同一で第三は別などいくつもの説があり、確定しているとは言いがたい〔。 「長老」の正体をが言及している長老ヨハネと想定する説もある。また、「第一・第二」と「第三」が対立関係にあると見る田川建三は、第三の手紙で批判的に言及されているディオトレフェスか彼に近い人物が第一と第二の手紙の著者であろうと推測している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨハネの手紙二」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Second Epistle of John 」があります。 スポンサード リンク
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