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ヨハネス1世ドゥーカス : ミニ英和和英辞書
ヨハネス1世ドゥーカス[よはねす1せいどぅーかす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハネス1世ドゥーカス : ウィキペディア日本語版
ヨハネス1世ドゥーカス[よはねす1せいどぅーかす]

ヨハネス1世ドゥーカスΙωάννης Α' Δούκας Κομνηνός, ローマ字転写: Ioannes I Doukas Komnenos, 生年不詳-1289年)は、テッサリア君主国の君主。ヨハネス・ドゥーカス・コムネノスとも。ミカエル2世アンゲロス・コムネノスの庶子(在位1271年1289年)。中世ギリシア語ではヨアニス1世ドゥカス・コムニノス
1271年、父・ミカエル2世が死去した後を嫡男のニケフォロス1世が継いだ。庶子であったヨハネスはこれに不満を持ち、テッサリア・ネオパトラス市にて独立して自ら専制公に名乗りを上げた。後にコンスタンティノポリス宮廷から専制公より一段低い尊厳公(セバストクラトル)称号を授与され、それを以て君主号とした。ここにエピロス専制公国は分裂する。ヨハネスは野心的な人物で、コンスタンティノープルの皇帝ともエピロス専制公とも競合関係に入った。1275年1277年と二度にわたる東ローマ帝国皇帝・ミカエル8世パレオロゴスの侵攻を撃退し、独立君主としての力と権威を示した。テッサリアが独立の一地方としての歴史を歩み始めたのも彼の時代からである。しかし一方で1259年ペラゴニアの戦いに於けるエピロス側の敗因の一つがヨハネスと同盟者アカイア公ギヨーム2世・ド・ヴィルアルドゥアンとの些細な対立にあったように、彼の野心と矜持それ自体がエピロスとテッサリア両国の分裂・抗争・衰退を招き、ニカイア帝国・復興東ローマ帝国を利した事も否定できない。
==家族==
妻(個人名不明)はタロナスの娘。
*ミカエル・コムネノス(Μιχαήλ Κομνηνός)  1283年コンスタンティノポリス宮廷に預けられる。ブルガリア皇帝イヴァン・アセン3世の娘と結婚。1307年没。
*コンスタンティノス
*テオドロス・アンゲロス(Θεόδωρος Άγγελος)  兄コンスタンティノスと共治。アルメニア王女と結婚。没年不明だが兄コンスタンティノスとほぼ同時期に死去したものと考えられている。
*ヘレネ(Ελένη)  アテネ公ギヨーム・ド・ラ・ロシュの妻
*娘(個人名不明)  有力者アンドロニコス・タルハニオティスの妻
*ヘレネ  セルビア王ステファン・ウロシュ2世ミルティンの妻




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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