|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 世 : [よ, せい] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation
ヨハネス22世(Ioannes XXII、1244年? - 1334年12月4日)は、アヴィニョン捕囚の時期のローマ教皇(在位1316年 - 1334年)。教会慣用名はヨハネ〔小林(1966)巻末「歴代法王票」p.9〕。 == 教皇登位まで == フランス南西部(現在のミディ=ピレネー地域圏)の商業都市カオールの裕福な中産階級の出身であり、本名は ジャック・ドゥーズ(Jacques Duèze)であった〔マックスウェル・スチュアート(1999)pp.166-169〕。グエルフィ(ゲルフ、教皇派)のリーダーと見なされていたナポリ王のロベルト1世(ロベール)の秘書を務めたのち、南仏プロヴァンスのフレジュスの司教、1310年からはアヴィニョンの司教を経て1312年に枢機卿に任命された〔〔政治家でもあったフィレンツェ出身の文人ダンテ・アリギエーリは、グエルフィの指導者と目されていたナポリ・アンジュー朝のロベルト1世について、「口先だけの王様」と断じている。マックスウェル・スチュアート(1999)p.167〕。 これに先立つ1303年、アナーニ事件の直後に教皇ボニファティウス8世がローマにて死去し、枢機卿団が分裂して教皇選挙(コンクラーヴェ)の実施に困難が生じ、また、アナーニ事件の事後処理に絡んでフランス王フィリップ4世(端麗王)の干渉により、1309年に教皇庁が南仏アヴィニョンに移るという事態が生じた(「アヴィニョン捕囚」)。アヴィニョン教皇庁での初めての教皇となったクレメンス5世は、修道会の会則を厳格に遵守するかどうか(「清貧論争」))をめぐって分裂傾向にあったフランシスコ会(フランチェスコ会)の問題を調査する委員会を教皇庁内に設けた〔小田内(2010)pp.209-213〕。 クレメンス5世が1314年に死去してからは、約2年間にわたって教皇位は空位であったが、1316年、コンクラーヴェは新しい教皇として当時72歳頃であったドゥーズ枢機卿を選出した〔。ドゥーズ枢機卿が新教皇ヨハネス22世として登位したのは1316年8月7日のことであった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨハネス22世 (ローマ教皇)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pope John XXII 」があります。 スポンサード リンク
|