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ヨハネス・トリテミウス ( リダイレクト:ヨハンネス・トリテミウス ) : ウィキペディア日本語版 | ヨハンネス・トリテミウス
ヨハンネス・トリテミウス(Johannes Trithemius、1462年2月1日 - 1516年12月13日)は、中世末・ルネサンス期のドイツの修道院長であり、後の隠秘学に影響を与えた隠秘学者である。本名はヨーハン・ハイデンベルク。魔女の妖術を強く非難した学僧でありながら、降霊術を能くする魔術師として生前からいくつかの逸話が流布していた。「トリテミウス」の通称は、プファルツ地方のモーゼル川沿いにある彼の生地トリテンハイムに由来する。 ==生涯== トリテミウスはハイデルベルク大学の学生であった。1482年、大学から郷里の町に帰る途中、吹雪に見舞われ、バート・クロイツナハ近くのシュポンハイムにあるベネディクト派の聖マルティン修道院に避難した。彼はそこに留まることに決め、23歳〔クルト・バッシュビッツ『魔女と魔女裁判』によれば、修道院長に任命されたのは21歳の時。〕にして修道院長に選ばれた。彼は貧しく無規律で荒廃したその修道院を建て直し、学問の施設に作り変えようとした。修道院の蔵書は50冊ほどであったのが、彼の代で最終的に2000冊を超えるまでになった。16世紀初頭には、ドイツを旅する多くの人文主義者がこの当代随一の図書館に詣でるようになっていたとも言われる。しかし彼の努力は賞賛されることなく、彼の魔術師としての評判は彼に対する支持を後押しすることはなかった。修道院との軋轢が増したために退くことを余儀なくされた1506年、ヴュルツブルクの司教ロレンツ・フォン・ビブラ(司教在位1495年-1519年)の申し出を受けることに決め、ヴュルツブルクの聖ヤコブ修道院の院長になった。彼は終生その地位にとどまった。トリテミウスは聖ヤコブ教会に葬られた。墓石は有名なティルマン・リーメンシュナイダーの手によるもので、1825年に大聖堂に隣接するノイミュンスター教会に移された。墓石は1945年に焼夷弾によって損壊し、その後テオドール・シュピーゲルの工房によって修繕が施された。 彼の門下といえる人物にはハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(1486年-1535年)とパラケルスス(1493年-1541年)が挙げられる。
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