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ヨハン6世(Johann VI, 1535年11月22日 - 1606年10月8日)はナッサウ=ディレンブルク伯。ナッサウ家の一族で、オラニエ=ナッサウ家の祖であるオラニエ公ウィレム1世の弟。とその妻ユリアーナ・ツー・シュトルベルクの間の次男。オランダではヤン・デ・アウデ(Jan de Oude)と呼ばれ、オランダ王家の祖の1人と見なされている。 兄ウィレム1世がオラニエ公領を相続したため、ナッサウ家の強大化を嫌った神聖ローマ皇帝カール5世の意向により、父ヴィルヘルムのディレンブルク伯位と所領はヨハンが相続した。八十年戦争において兄や弟たちとともに活躍し、ユトレヒト同盟の成立に尽力、またヘルダーラント州の総督(1578年 - 1581年)も務めた。その後、兄とは一線を画して、ドイツ西部のナッサウ家の所領の経営と、兄と自身の大勢の子たちの養育に当たった。 == 家族 == 父や兄と同様に多くの子をもうけている。 1559年に(1537年 - 1579年)と最初の結婚をし、11子をもうけた。 * (ウィレム・ローデウェイク、1560年 - 1620年) ナッサウ=ディレンブルク伯、フリースラント州・フローニンゲン州総督 * ヨハン7世(1561年 - 1623年) ナッサウ=ジーゲン伯 * (ヘオルヘ、1562年 - 1623年) ナッサウ=ディレンブルク伯 * エリーザベト(1564年 - 1611年) * ユリアナ(1565年 - 1630年) * (フィリップス、1566年 - 1595年) * (1568年 - 1625年) * アンナ・ジビラ(1569年 - 1576年) * マティルデ(1570年 - 1625年) * エルンスト・カジミール(エルンスト・カシミール、1573年 - 1632年) ナッサウ=ディーツ伯、フリースラント州・フローニンゲン州総督 * (ローデウェイク・ヒュンテル、1575年 - 1604年) 1580年に(1556年 - 1586年)と2度目の結婚をし、2女をもうけた。 * (1582年 - 1635年) * クニグンデ(1583年 - 1584年) 1586年にと3度目の結婚をし、7子をもうけた。 * ゲオルク・ルートヴィヒ(1588年) * (ヨハン・ローデウェイク、1590年 - 1653年) * ヨハンネッタ・エリーザベト(1593年 - 1654年) * アンナ(1594年 - 1660年) * マグダレーナ(1595年 - 1633年) * アンナ・アマリア(1599年 - 1667年) * ユリアーネ(1602年) フローニンゲン州とフリースラント州の総督はヨハンの家系が世襲したが、エルンスト・カジミールの曾孫ヨハン・ウィレム・フリーゾはウィレム3世(イングランド王ウィリアム3世)で直系が断絶したオラニエ=ナッサウ家を相続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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