翻訳と辞書
Words near each other
・ ヨハンナ・ゼンフター
・ ヨハンナ・テア・ステーゲ
・ ヨハンナ・ハーグン
・ ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル
・ ヨハンナ・フォン・プフィルト
・ ヨハンナ・フォン・ホーエンシュタウフェン
・ ヨハンナ・マリナ・フォン・ヘッセン
・ ヨハンナ・マルツィ
・ ヨハンナ・ミュラー=ヘルマン
・ ヨハンナ・リヒター
ヨハンナ・ロイジンガー
・ ヨハンナ・ヴェシュタディーク
・ ヨハンナ・ヴォカレク
・ ヨハンネス
・ ヨハンネス1世
・ ヨハンネス2世
・ ヨハンネス2世 (エチオピア皇帝)
・ ヨハンネス3世
・ ヨハンネス4世
・ ヨハンネス4世空港


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヨハンナ・ロイジンガー : ミニ英和和英辞書
ヨハンナ・ロイジンガー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハンナ・ロイジンガー : ウィキペディア日本語版
ヨハンナ・ロイジンガー[ちょうおん]

ヨハンナ・マリア・ルイーゼ・ロイジンガー(Johanna Maria Louise Loisinger, 1865年4月18日 プレスブルク - 1951年5月20日 ウィーン)は、オーストリアのオペラ歌手、ピアノ奏者。元ブルガリアアレクサンダルと結婚し、ハルテナウ伯爵夫人(Gräfin von Hartenau)の称号を授けられた。
楽団指揮者ヨハン・ロイジンガー(Johann Loisinger)とその妻マリア・マイアー(Maria Mayr)の間の娘として生まれ、ソプラノ歌手としての訓練を受けた後、プラハトロッパウリンツの劇場や、ダルムシュタットの宮廷劇場で歌手として活動した。現役歌手時代はモーツァルト・オペラの名手の一人として知られた。
1889年2月6日にマントンにおいて、1886年に退位した元ブルガリア公アレクサンダルと結婚した。結婚後、2人はハルテナウ伯爵夫妻と名乗り、公の生活から身を引いた。アレクサンダルはオーストリア=ハンガリー帝国軍の士官となり、夫妻は間に2人の子供をもうけ、一家はグラーツに住んだ。ヨハンナは1893年に夫と死別すると、子供たちを連れてウィーンに移った。母子はブルガリア政府から年額5万レフの年金を支給されていた〔Richard von Mach: ''Aus bewegter Balkanzeit 1879–1918.'' Mittler, Berlin 1928, S. 52.〕 。
ロイジンガーはウィーンの音楽業界の発展に尽力し、ザルツブルクモーツァルテウムを高等専門教育機関として整備する事業にも参加した。またウィーン・モーツァルト協会、ウィーン・コンサート協会、ウィーン交響楽団の理事長を務めた。
== 子女 ==
夫との間に1男1女をもうけた。
*アセン・ルートヴィヒ・アレクサンダー(1890年 - 1965年)
*マリー・テレーゼ・ヴェーラ・ツヴェタナ(1893年 - 1935年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハンナ・ロイジンガー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.