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ヨハン・エマヌエル・ヴィークストレーム : ミニ英和和英辞書
ヨハン・エマヌエル・ヴィークストレーム[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハン・エマヌエル・ヴィークストレーム : ウィキペディア日本語版
ヨハン・エマヌエル・ヴィークストレーム[ちょうおん]
ヨハン・エマヌエル・ヴィークストレーム(Johan Emanuel Wikström、1789年11月1日 - 1856年5月4日)は、スウェーデン植物学者である。ベルギアンスカ植物園(Bergianska trädgården)の園長などを務めた。
==略歴==
ベーナシュボリに生まれた。父親は工場の管理人で、父親の希望で1806年からウプサラ大学で法律を学び、ベーナシュボリの地方裁判所で働くが、その仕事に満足できず、ウプサラ大学の医学部に再入学した。1815年に卒業し、1817年に医師の資格を得、同年修士号を得て、ストックホルムの病院で働いた。大学でカール・ツンベルクの医学と博物学の講義を受けたこともあって、休日はストックホルムのベルギアンスカ植物園(Bergianska trädgården)でいつも過ごし、植物園の初代園長となるオロフ・ペータ・シュヴァルツと親しくなった。ツンベルクやシュヴァルツの影響を受けて、植物学を研究し、1818年にシュヴァルツが没すると、その職を継ぎ、医師をやめ植物学に専念することとなった。1823年に教授職を贈られた。
ヴィークストレームが主導したベルギウス財団の園芸学校は国際的に評価され、植物園長として園芸家を育てた。スウェーデン王立アカデミーの植物博物館の館長も務めた。1821年から1843年の間は高校でほぼ無償で自然史を教えた。ヴィークストレーム自身はスウェーデンから出ることは稀であったが、スウェーデン王立アカデミーによってアンティル諸島に派遣されたBengt Anders Euphrasénや西インド諸島リーワード諸島で植物を収集したフォシュストローム(Johan Erik Forsström)が集めた植物の研究を行なった。ストックホルム近郊の植物に関する著書もある。アカデミーの依頼で国内学の植物学の研究に関する年報を1822年から1852年まで執筆した。
ジンチョウゲ科の属名、''Wikstroemia''(和名:アオガンピ属)に献名された。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハン・エマヌエル・ヴィークストレーム」の詳細全文を読む




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