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ヨハン・ファブリチウスまたはヨハン・クリスチャン・ファブリシウス(Johan Christian Fabricius、1745年1月7日 – 1808年3月3日)は、デンマークの動物学者である。 == 概要 == 特に節足動物を含む昆虫学の分野で業績を上げた。カール・フォン・リンネの弟子で、18世紀のもっとも重要な昆虫学者である。10.000種近い動物を命名し、近代的な昆虫の分類の基礎を築いた。 当時、シュレースヴィヒ公国のトゥナ(Tønder)に医者の息子として生まれた。1762年にコペンハーゲン大学に入学し、その年の暮れ、ウプサラのリンネのもとに行き、彼のもとで2年間学んだ。コペンハーゲンに戻った後、父親の資金援助のもとで昆虫の分類的研究に専念し、1775年に研究を発表した〔Johan Christian Fabricius" (in Danish). Dansk biografisk leksikon. 5 (1st ed.). Projekt Runeberg. 1891. pp. 24–30. http://runeberg.org/dbl/5/0026.html〕。 1770年にコペンハーゲン大学の教授に任じられ、1776年にキール大学の自然史、経済学の教授となった。キール大学は自然史博物館と植物園を新設した。何度か職を辞そうとしたが、学生たちがデンマーク王でシュレースヴィヒ公国のクリスチャン7世に留任を要請することによって思いとどまったこともある。キール大学に在職中に博物学者のジョセフ・バンクスや昆虫学者のドゥルーリ(Dru Drury)の標本の調査にロンドンを訪れ、晩年はパリで博物学者のジョルジュ・キュヴィエや昆虫学者ピエール・アンドレ・ラトレイユと会見した。 ファブリチウスの著書には以下のものがある。9,776種の昆虫を記載した〔 S. L. Tuxen (1967). "The entomologist J. C. Fabricius". Annual Review of Entomology 12: 1–15. doi:10.1146/annurev.en.12.010167.000245 〕。 ::Systema entomologiæ (1775) ::Genera insectorum (1776) ::Species insectorum (1781) ::Mantissa insectorum (1787) ::Entomologia systematica emendata et aucta (1792–1799) ::Systema eleuthatorum (1801) ::Systema rhyngotorum (1803) ::Systema piezatorum (1804) ::Systema antliatorum (1805) ::Systema glossatorum (1807) ファブリチウスのコレクションはロンドン自然史博物館や、パリ自然史博物館、オックスフォードのホープ昆虫学科、グラスゴーのハンテリアン博物館、キールの動物学博物館、コペンハーゲンのデンマーク自然史博物館(Statens Naturhistoriske Museum)などに保存された〔Jon-Arne Sneli, Jørgen Knudsen & Antonia Vedelsby (2009). "Johan Christian Fabricius and his molluscan species, Acesta excavata (J. C. Fabricius, 1779)" (PDF). Steenstrupia 30 (2): 153–162. http://zoologi.snm.ku.dk/english/publications/steenstrupia/early_volumes/sneli_et_al2009.pdf/ 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨハン・ファブリチウス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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