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ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ : ミニ英和和英辞書
ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ : ウィキペディア日本語版
ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ[ちょうおん]
ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ(Johann Gerhard König、1728年11月29日-1785年6月26日)は、バルト・ドイツ人の植物学者、医師である。アーユルヴェーダで使われる多くの植物について記述した。
現在のラトビアイェーカブピルスで生まれた。1757年にカール・フォン・リンネの内弟子となり、1759年から1767年までデンマークに住んだ。1773年から1785年までは、インドカルナータカ太守に仕え、博物学者として働いた。また、1773年から1785年には、タランガンパーディ郡ナーガッパッティナム県)でデンマークとの貿易にも従事した〔Rao, B S Subba (1998) History of Entomology in India. Institution of Agricultural Technologists.〕。
1773年、彼は不在中にコペンハーゲン大学から博士号を授与された。彼は、太守の博物学者として、マドラス北部やセイロン島の山々へ航海し、その詳細は、後にデンマークの科学誌に掲載された。1778年、ケーニヒはイギリス東インド会社に職を得て、調査旅行を続けながら、ウィリアム・ロクスバラヨハン・ファブリチウスジョゼフ・バンクスらの著名な科学者とともに死ぬまでそこで働いた。恐らくこの頃の最も特筆すべき調査は、1778年から1780年にかけてのタイ王国マラッカ海峡の調査であろう。彼は1782年に、インドのタランガンパーディ郡に到着した爬虫両生類学者のパトリック・ラッセルと出会い、それ以来、連絡を取り合うことになった。
1784年、彼はカルカッタに向かう途中にヴィシャーカパトナムでクロード・ラッセルを訪ねた。この道中で彼は赤痢を患い、サマルコータ(Samalkota)に滞在していたロクスバラが彼を見舞った。しかしケーニヒは回復することなく、1785年にジャグレナートポルミン(Jagrenatporumin)で死去した。彼の論文は、ジョゼフ・バンクスに遺贈された〔。
タデ科チシマミチヤナギ属(''Koenigia'')や、オオバゲッキツ(''Murraya koenigii'')の学名は、ケーニヒの名前にちなんでリンネが名付けたものである。

==出典==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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