|
ヨハン・ミカン(Johann Christian Mikan、1769年12月5日 - 1844年12月28日)はオーストリア(チェコ)の博物学者である。 現在はチェコのテプリツェに生まれた。父親は植物学者、医師のヨーゼフ・ゴットフリード・ミカン(Joseph Gottfried Mikan)である。 1793年にプラハ大学で学位を取得し、しばらく医師として働きながら、植物学と昆虫学を学び、1796年にプラハ大学の植物学の教授、1800年に博物学の教授となった。1811年には、スペイン、マルタ島やバレンシア地方を調査した。 神聖ローマ皇帝フランツ2世の皇女、マリア・レオポルディナ・デ・アウストリアがブラジル皇帝ペドロ1世と結婚したのを機に行われた、1817年からのオーストリアのブラジル学術探検でリーダーを務めた3人の博物学者の一人で、ヨハン・バプティスト・エマニュエル・ポールを助手にしてリオデジャネイロやサンパウロ地域を担当した。1年後にミカンはポールを残して、帰国したが、収集した標本はウィーン自然史博物館に収蔵されている。 著書に"''Monographia Bombyliorum Bohemiae, iconibus illustrata''" (1796)や昆虫に関する"''Entomologische Beobachtungen, Berichtigungen und Entdeckungen''" (1797)があり、ブラジルの植物・動物に関する"''Delectus Florae et Faunae Brasiliensis, etc.''" (1820)がある。 キンゴシライオンタマリン(キンゴシタマリン) Leontopithecus chrysopygus などの多くの種について記載している。 動物学の学名の命名者としてはMikanと表記される。 ==参考文献== * Stafleu, F.A.; Cowan, R.S. Taxonomic Literature. — Ed. 2. — Utrecht, The Hague, 1981. — Vol. III: Lh—O. — P. 481—482. — 980 p. — ISBN 90-313-0444-1. * Riedl, H. Mikan Johann Christian // Österreichisches Biographisches Lexikon. — 1815–1950. — Bd. 6. — S. 280 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨハン・ミカン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|