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ヨハン・ルドルフ・ウィース : ミニ英和和英辞書
ヨハン・ルドルフ・ウィース[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハン・ルドルフ・ウィース : ウィキペディア日本語版
ヨハン・ルドルフ・ウィース[ちょうおん]

ヨハン・ルドルフ・ウィース(Johann Rudolf Wyss, 1782年3月4日1830年3月21日)は、スイスベルンに生まれた作家哲学教授。
彼は、ベルンで学んだ後、ドイツに行き、テュービンゲンゲッティンゲンハレの大学で学び、その後スイスに戻り、イヴェルドンで家庭教師をした。1805年、ベルン大学で正教授となり、1827年から1830年までの期間は、同大学で上級図書館司書としても働いた。
ウィースは、以前のスイスの国歌「君よ、ヘルヴェティアを称えたまえ」 (''Heil dir Helvetia'') の作詞をしたことでも知られている。彼は、1811年、ゴットリープ・ヤコプ・クーン、ルートヴィヒ・マイスターと共に創刊した民俗学の年鑑「アルペンローゼ」の編集者で、さらにルドルフ・エマニュエル・シュティァリンと共に、ヴァレウス・アンセルムの『ベルン年代記』の編纂も手がけている。
しかし、最もよく知られているのは、父ヨハン・ダビット・ウィースの書いた『スイスのロビンソン』の編集者としてであろう。この本の第1巻は、1812年に刊行され、第2巻は1826年、第3巻は1827年に刊行された。
== その他の著作 ==

* ''Idyllen, Volkssagen, Legenden und Erzählungen aus der Schweiz'' (Bern 1815-22, 2 Bände)
* ''Reise in das Berner Oberland'' (Bern 1816-17, 2 Bände)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハン・ルドルフ・ウィース」の詳細全文を読む




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