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イオルゴス・セフェリス(Giorgos Seferis、、1900年3月13日(ユリウス暦2月29日)-1971年9月20日)は20世紀で最も偉大なギリシャの詩人の一人で、ノーベル文学賞受賞者である。また外交官として1957年から1962年までイギリス大使館にいた。 セフェリスというのはペンネームであり、本当の苗字のSeferiadis(Σεφεριάδης)を縮めたものである。 == 人物 == セフェリスは小アジアのイズミル近郊にあるウルラで生まれた。父親のStelios Seferiadisは弁護士兼詩人、翻訳家で、後にアテネ大学の教授となった。また彼は君主制に反対しメガリ・イデアを支持するヴェニゼロス主義者で、公用語としてのカサレヴサの支持者だった。これらの主義は息子にも受け継がれ、1914年に一家はアテネに移住した。セフェリスは1918年から1925年まで、パリ大学で法学を学んだ。大学生時代の1922年9月、2年間のギリシャの統治の後、スミルナが再びトルコに併合され、セフェリスの家族を含むギリシャ人たちは難民となった。セフェリスはその後1950年までスミルナを訪れなかったが、故郷を失った感情はセフェリスの詩の中に多分に表れ、それは彼がオデュッセウスの物語に興味を示すようになったことからも窺うことができる。セフェリスはまた、コンスタンディノス・カヴァフィス、T・S・エリオット、エズラ・パウンドらの詩人からも多大な影響を受けている。 セフェリスは1925年にアテネに戻り、ギリシャ外務省に入省した。ここから彼の輝かしい外交官としてのキャリアが始まり、1931年から1934年にはイングランド、1936年から1938年にはアルバニアに赴任した。1941年4月10日、ドイツ軍がギリシャに侵攻する前日にマリア・ザンノウと結婚した。第二次世界大戦中、セフェリスはギリシャ自由政府とともにクレタ、エジプト、南アフリカ共和国、イタリア等で亡命生活を送り、1944年に再びアテネに帰還した。戦後も外交官として、1948年から1950年にアンカラ、1951年から1953年にロンドンに赴任した。彼は1953年から1956年にかけて、レバノン、シリア、ヨルダン、イラクの首相を指名し、1957年から1961年にはイギリスに大使として赴任したが、これが彼の外交官としての最後の仕事となった。セフェリスは多くの名誉や賞を得たが、その中には1960年にケンブリッジ大学、1964年にオックスフォード大学、1964年にサロニカ大学、1965年にプリンストン大学からそれぞれ贈られた名誉博士号等も含まれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イオルゴス・セフェリス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Giorgos Seferis 」があります。 スポンサード リンク
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